<?xml version="1.0" encoding="utf-8" ?><rdf:RDF xmlns:rdf="http://www.w3.org/1999/02/22-rdf-syntax-ns#" xmlns="http://purl.org/rss/1.0/" 
			xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/" xmlns:content="http://purl.org/rss/1.0/modules/content/" 
			xmlns:cc="http://web.resource.org/cc/" xml:lang="ja">
<channel rdf:about="http://janzika.blog64.fc2.com/?xml">
<title>論題はそこなのか？</title>
<link>http://janzika.blog64.fc2.com/</link>
<description>ある政治メルマガ関係者達のつぶやき</description>
<dc:language>ja</dc:language>
<items>
<rdf:Seq>
<rdf:li rdf:resource="http://janzika.blog64.fc2.com/blog-entry-57.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://janzika.blog64.fc2.com/blog-entry-56.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://janzika.blog64.fc2.com/blog-entry-55.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://janzika.blog64.fc2.com/blog-entry-54.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://janzika.blog64.fc2.com/blog-entry-53.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://janzika.blog64.fc2.com/blog-entry-52.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://janzika.blog64.fc2.com/blog-entry-51.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://janzika.blog64.fc2.com/blog-entry-50.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://janzika.blog64.fc2.com/blog-entry-49.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://janzika.blog64.fc2.com/blog-entry-47.html" />
</rdf:Seq>
</items>
</channel>
<item rdf:about="http://janzika.blog64.fc2.com/blog-entry-57.html">
<link>http://janzika.blog64.fc2.com/blog-entry-57.html</link>
<title></title>
<description> 今回は動物愛護・自然保護という似てる言葉について、考えようというわけですが・・・
まずは二つの定義みたいなものを・・・・
二つを定義するために、
二つを同質化して考えている人がいると思うから、その違いを私なりに説明したいんだけどいいかな？
どうぞ・・・・・今回は聞き手なんで、サクっと
動物の映像でライオンが草食動物を捕食することがあるよね？
でも、放送のテーマ次第で抱く感情がまったく変わってくる。
 </description>
<content:encoded>
<![CDATA[ 

<table border="3"width="100%">

<tr><td><img src="http://blog-imgs-21.fc2.com/s/e/l/self0507/20080602154352.jpg" alt="け～ねたん" border="0"></a></td><td>今回は<blockquote>動物愛護・自然保護</blockquote>という似てる言葉について、考えようというわけですが・・・
まずは二つの定義みたいなものを・・・・</td></tr>
<tr><td><img src="http://blog-imgs-21.fc2.com/s/e/l/self0507/20080531073214.gif" alt="NOW PRINT" border="0" /></td><td>二つを定義するために、
<br>二つを同質化して考えている人がいると思うから、その違いを私なりに説明したいんだけどいいかな？</td></tr>
<tr><td><img src="http://blog-imgs-21.fc2.com/s/e/l/self0507/20080602154352.jpg" alt="け～ねたん" border="0"></a></td><td>どうぞ・・・・・今回は聞き手なんで、サクっと</td></tr>
<tr><td><img src="http://blog-imgs-21.fc2.com/s/e/l/self0507/20080531073214.gif" alt="NOW PRINT" border="0" /></td><td>動物の映像でライオンが草食動物を捕食することがあるよね？
<br>でも、放送のテーマ次第で抱く感情がまったく変わってくる。
<br>当然、ライオンをテーマにすれば、ライオンも他の動物を捕食して食べるしかないから捕食行動について問わないし、残虐とは思わないことが多いね。</td></tr>
<tr><td><img src="http://blog-imgs-21.fc2.com/s/e/l/self0507/20080602154352.jpg" alt="冥王星" border="0"></td><td>まぁ、そうですね。ライオンを特集する番組ならばそうなるでしょうね。</td></tr>
<tr><td><img src="http://blog-imgs-21.fc2.com/s/e/l/self0507/20080531073214.gif" alt="NOW PRINT" border="0" />></td><td>一方、捕食される側の草食動物を特集する番組ではライオンの捕食行動に対して冷静に見ていられるとは言えないことが多いよね？</td></tr>
<tr><td><img src="http://blog-imgs-21.fc2.com/s/e/l/self0507/20080602154352.jpg" alt="冥王星" border="0"></td><td>まぁ、子供さんとかは騒いじゃうでしょうね。</td></tr>
<tr><td><img src="http://blog-imgs-21.fc2.com/s/e/l/self0507/20080531073214.gif" alt="NOW PRINT" border="0" />></td><td>これは感情だから仕方ないと思うんだけどね。<br>自然保護・動物愛護という精神はそういう視点の偏りがあってはならない、と思うの</td></tr>
<tr><td><img src="http://blog-imgs-21.fc2.com/s/e/l/self0507/20080602154352.jpg" alt="冥王星" border="0"></td><td>と、いいますと？</td></tr>
<tr><td><img src="http://blog-imgs-21.fc2.com/s/e/l/self0507/20080531073214.gif" alt="NOW PRINT" border="0" />></td><td>野生のキツネが野うさぎを捕食しようとしていて、冥王星君はどうする？</td></tr>
<tr><td><img src="http://blog-imgs-21.fc2.com/s/e/l/self0507/20080602154352.jpg" alt="冥王星" border="0"></td><td>オイラはそれを放置しますね。自然淘汰の原則からしてもキツネが野ウサギを捕食してゆくのは自然なことですから</td></tr>
<tr><td><img src="http://blog-imgs-21.fc2.com/s/e/l/self0507/20080531073214.gif" alt="NOW PRINT" border="0" />></td><td>子供にそういう教育できる？まだ幼い子供相手だよ？</td></tr>
<tr><td><img src="http://blog-imgs-21.fc2.com/s/e/l/self0507/20080602154352.jpg" alt="冥王星" border="0"></td><td>難しいですね。概念的に食物連鎖は分っていますが、捕食される動物のことを考える教育もするべき・・・というスタンスですからね。</td></tr>
<tr><td><img src="http://blog-imgs-21.fc2.com/s/e/l/self0507/20080531073214.gif" alt="NOW PRINT" border="0" />></td><td>そうだよね。でも、冥王星君は自然の原理原則というものを尊重する。
<br>これは自然保護の視点なんだよね</td></tr>
<tr><td><img src="http://blog-imgs-21.fc2.com/s/e/l/self0507/20080602154352.jpg" alt="冥王星" border="0"></td><td>え？どういうことですか</td></tr>
<tr><td><img src="http://blog-imgs-21.fc2.com/s/e/l/self0507/20080531073214.gif" alt="NOW PRINT" border="0" />></td><td>自然のあるがままの姿を尊重したから。
<br>そこで行われた食物連鎖に介入しなかったから
</td></tr>
<tr><td><img src="http://blog-imgs-21.fc2.com/s/e/l/self0507/20080602154352.jpg" alt="冥王星" border="0"></td><td>ふむ。</td></tr>
<tr><td><img src="http://blog-imgs-21.fc2.com/s/e/l/self0507/20080531073214.gif" alt="NOW PRINT" border="0" />></td><td>でも、食物連鎖に介入しないことが正しいわけじゃないよ。あくまでもそれが自然保護の見方の話ね</td></tr>
<tr><td><img src="http://blog-imgs-21.fc2.com/s/e/l/self0507/20080602154352.jpg" alt="冥王星" border="0"></td><td>では、人為的な災害によって動物の生命が脅かされるケースは？</td></tr>
<tr><td><img src="http://blog-imgs-21.fc2.com/s/e/l/self0507/20080531073214.gif" alt="NOW PRINT" border="0" />></td><td>それは人間が自然と関わって変質した環境であって、人間の責任があると考えることができるでしょ？
<br>だから、そのケースの生命は可能なだけ人間の努力で守られるべきだと思う</td></tr>
<tr><td><img src="http://blog-imgs-21.fc2.com/s/e/l/self0507/20080602154352.jpg" alt="冥王星" border="0"></td><td>つまり、自然保護と動物愛護は個体間の差別的な愛情を持たないこと、ということですか？</td></tr>
<tr><td><img src="http://blog-imgs-21.fc2.com/s/e/l/self0507/20080531073214.gif" alt="NOW PRINT" border="0" />></td><td>それもあるけど、「自然」のあり様を尊重した上で動物を愛せる気持ちだね。</td></tr>
<tr><td><img src="http://blog-imgs-21.fc2.com/s/e/l/self0507/20080602154352.jpg" alt="冥王星" border="0"></td><td>自然破壊してまで存続してしまう動物は愛護の対象ではないと？</td></tr>
<tr><td><img src="http://blog-imgs-21.fc2.com/s/e/l/self0507/20080531073214.gif" alt="NOW PRINT" border="0" />></td><td>正直、そうとも言える。
<br>動物愛護は時に自然環境を破壊することで他の動物の生態系を破壊することがある。</td></tr>
<tr><td><img src="http://blog-imgs-21.fc2.com/s/e/l/self0507/20080602154352.jpg" alt="冥王星" border="0"></td><td>クジラ・外来生物とかですね</td></tr>
<tr><td><img src="http://blog-imgs-21.fc2.com/s/e/l/self0507/20080531073214.gif" alt="NOW PRINT" border="0" />></td><td>だね。人間の都合で持ち込まれ・保護された結果、生態系が破壊されちゃう事例は多い。
<br>でもそれが一面の動物愛護という精神性に原因がある。
<br>こういう言質は「動物愛護」否定とも解釈されるけど、私はそう思ってる。</td></tr>
<tr><td><img src="http://blog-imgs-21.fc2.com/s/e/l/self0507/20080602154352.jpg" alt="冥王星" border="0"></td><td>姉さんはオイラと同じ動物愛護を嫌悪してますもんね。</td></tr>
<tr><td><img src="http://blog-imgs-21.fc2.com/s/e/l/self0507/20080531073214.gif" alt="NOW PRINT" border="0" />></td><td>嫌悪ではないけど、愛護という名の支配・束縛でしかないと思ってる。だから動物愛護は詭弁としか思ってない
<br>でも自然保護は別。自然保護は総合的な地球環境まで想定した概念だからね。それで被害を受けるのはまずは人類・増えすぎた動物群などだから、私は仕方ないと思う。</td></tr>
<tr><td><img src="http://blog-imgs-21.fc2.com/s/e/l/self0507/20080602154352.jpg" alt="冥王星" border="0"></td><td>そういう教育指導できます？</td></tr>
<tr><td><img src="http://blog-imgs-21.fc2.com/s/e/l/self0507/20080531073214.gif" alt="NOW PRINT" border="0" />></td><td>正直難しいね。
<blockquote>”「自然」って何かな？”</blockquote>
という永遠に解答できない問いかけを続けることによって、教育指導になると思う。
<br>それを考えない人生もありだけど、それを考え続ける人生は非常に有意義だと思ってる。
<br>冥王星君も「解答がない回答」という指導方法を否定しないはずだから、許してもらえるだろうけど</td></tr>
<tr><td><img src="http://blog-imgs-21.fc2.com/s/e/l/self0507/20080602154352.jpg" alt="冥王星" border="0"></td><td>でも、動物の差別愛というのは「差別」からして難しい問題だと思うんですけど？</td></tr>
<tr><td><img src="http://blog-imgs-21.fc2.com/s/e/l/self0507/20080531073214.gif" alt="NOW PRINT" border="0" />></td><td>冥王星君はさ。人類の個体数の相対的増加については、危険視してるよね？</td></tr>
<tr><td><img src="http://blog-imgs-21.fc2.com/s/e/l/self0507/20080602154352.jpg" alt="冥王星" border="0"></td><td>正直言えば、ヘンだと思ってます。
<br>自然の一翼として人類が繁栄している現代において人類だけが繁栄を謳歌している現状は動物差別状況でしかないと思います。
<br>はっきり言えば人類の行動の多くが自然破壊と何ら変わらないものとも思ってます。</td></tr>
<tr><td><img src="http://blog-imgs-21.fc2.com/s/e/l/self0507/20080531073214.gif" alt="NOW PRINT" border="0" />></td><td>冥王星君にとっての自然の姿というのは人類の現状からして違和感があるのよね。
<br>でも、そういう見方ばかりじゃない。冥王星君のは人類自虐認知と言われるかもしれないね。</td></tr>
<tr><td><img src="http://blog-imgs-21.fc2.com/s/e/l/self0507/20080602154352.jpg" alt="冥王星" border="0"></td><td>言われたっていいですよ。そういう認知があるからこそ、反面教師で自然保護の意識が出来上がってるわけですから。
<br>批判したければどうぞ。少なくともそういう認知を否定しているくせに何もしない・何を考えてない奴よりはマシだと思うので</td></tr>
<tr><td><img src="http://blog-imgs-21.fc2.com/s/e/l/self0507/20080531073214.gif" alt="NOW PRINT" border="0" />></td><td>そうなる。
<br>人類が存続できるのは自然環境あっての話だからね</td></tr>
<tr><td><img src="http://blog-imgs-21.fc2.com/s/e/l/self0507/20080602154352.jpg" alt="冥王星" border="0"></td><td>えっと、もしかして
<blockquote>動物愛護の視点で考えると人類はどうあるべきか？</blockquote>という命題がある、
<br>という話にしたいんですか？</td></tr>
<tr><td><img src="http://blog-imgs-21.fc2.com/s/e/l/self0507/20080531073214.gif" alt="NOW PRINT" border="0" />></td><td>うん。そう。
人類も動物だからね。動物として特別扱いしていい、なんて根拠はない。
だから、動物愛護の視点では
「人類の個体数・生態について考えない」ケースは、ありえない</td></tr>
<tr><td><img src="http://blog-imgs-21.fc2.com/s/e/l/self0507/20080602154352.jpg" alt="冥王星" border="0"></td><td>動物愛護のハードルって案外高くないですか？</td></tr>
<tr><td><img src="http://blog-imgs-21.fc2.com/s/e/l/self0507/20080531073214.gif" alt="NOW PRINT" border="0" />></td><td>これは私の定義だから・・・
<br>単純に情動に流されてその場限りの愛情でも「動物愛護」と言うこともできる。
<br>でも、それを正しいとは思えない。</td></tr>
<tr><td><img src="http://blog-imgs-21.fc2.com/s/e/l/self0507/20080602154352.jpg" alt="冥王星" border="0"></td><td>なんか愛国心と似てますね。
<br>世界的規模で自分の国のあり様を考えない愛国心は偏狭な動物愛護と大差ないように思えてなりません。</td></tr>
<tr><td><img src="http://blog-imgs-21.fc2.com/s/e/l/self0507/20080531073214.gif" alt="NOW PRINT" border="0" />></td><td>政治的な分野へ持ち込むのはやめてほしいんだけどね。</td></tr>
<tr><td><img src="http://blog-imgs-21.fc2.com/s/e/l/self0507/20080602154352.jpg" alt="冥王星" border="0"></td><td>感情・情動的な愛国心は、クジラ保護運動と大差ないと思いますが？</td></tr>
<tr><td><img src="http://blog-imgs-21.fc2.com/s/e/l/self0507/20080531073214.gif" alt="NOW PRINT" border="0" />></td><td>教育学上のテーマのひとつである「愛情」というのはやはり、そのあり方を問われるわけで、それがガアペーではなくてもマイナス作用が大きくならないように留意する必要性があるね。</td></tr>
<tr><td><img src="http://blog-imgs-21.fc2.com/s/e/l/self0507/20080602154352.jpg" alt="冥王星" border="0"></td><td>・・・・・・</td></tr>
<tr><td><img src="http://blog-imgs-21.fc2.com/s/e/l/self0507/20080531073214.gif" alt="NOW PRINT" border="0" />></td><td>イヤ・・愛国心とクジラ保護は似てるよ。
<br>科学的見地を排斥している部分なんかは見事に一致するし、エゴイズムでしかない部分は一致している部分だからね</td></tr>
<tr><td><img src="http://blog-imgs-21.fc2.com/s/e/l/self0507/20080602154352.jpg" alt="冥王星" border="0"></td><td>分ってますよ。結局は
<blockquote>思想信条の自由と表現の自由によって暴虐な思想も人類は特別扱いされることによって、正当化できてしまう、</blockquote>
という事実はね。</td></tr>
<tr><td><img src="http://blog-imgs-21.fc2.com/s/e/l/self0507/20080531073214.gif" alt="NOW PRINT" border="0" />></td><td>支配者たる人類が,
独裁者の如く君臨している現在、<blockquote>人類が独裁者としてどれだけ聡明なる「自然管理者」であるのか？</blockquote>
それを問われていることだけは留意しておきたいね。</td></tr>
</table>

<hr size="1" />さて、次回は
<br><span style="font-size:large;">「性と生殖活動」について</span>・・・・
<br>同性愛者への応援という置換になりそうな話を・・・・ ]]>
</content:encoded>
<dc:subject>未分類</dc:subject>
<dc:date>2008-12-01T12:36:39+09:00</dc:date>
<dc:creator>モダンタイムス２００８</dc:creator>
<dc:publisher>FC2-BLOG</dc:publisher>
</item>
<item rdf:about="http://janzika.blog64.fc2.com/blog-entry-56.html">
<link>http://janzika.blog64.fc2.com/blog-entry-56.html</link>
<title>ドアラ・三浦の爽快さ</title>
<description> 　今朝の朝日新聞でドアラが含蓄のあるコメントしていました。WBCに関してのコメントを求められ「今年なら自分が選ばれると思ったが、甘かった。世界的アピールが必要」なんと中日球団の背景を踏まえて、粋なコメント（厳密には筆談）なるほど・・・・・同時に朝日新聞の天声人語ではこうある。　「人生を振り返るチャンスを作ってもらった」。詐欺で起訴された音楽プロデューサーは、自分を告訴した被害者への感謝を口にしたそう
 </description>
<content:encoded>
<![CDATA[ 　今朝の朝日新聞でドアラが含蓄のあるコメントしていました。<br /><br />WBCに関してのコメントを求められ<br /><br /><blockquote><span style="font-size:large;">「今年なら自分が選ばれると思ったが、甘かった。世界的アピールが必要」</span></blockquote><br /><br />なんと中日球団の背景を踏まえて、粋なコメント（厳密には筆談）<br /><br />なるほど・・・・・<br /><br />同時に朝日新聞の天声人語ではこうある。<br /><blockquote>　「人生を振り返るチャンスを作ってもらった」。詐欺で起訴された音楽プロデューサーは、自分を告訴した被害者への感謝を口にしたそうだ。米国は黒人大統領で出直し、バドミントンの「オグシオ」はそれぞれの道へ。心機一転、１１月の言葉から<br />▼オバマ氏当選。「アメリカ史の発展の早さに驚いた」と米国出身で鳥取に住む秋山キャサリンまゆみさん（３４）。元広島平和記念資料館館長の高橋昭博さん（７７）は「次は核廃絶という、ありえなかったことが現実になってほしい」<br />▼昇進を機に、しこ名を安馬から改めた日馬富士（はるまふじ）公平さん（２４）は「大関の名を汚すことのないよう、いい生き方をしたい」。生き方と大きく出たところに大器の予感。反面教師には不自由しない<br />▼３０回で終了した東京国際女子マラソン。優勝した尾崎好美さん（２７）を指導した第一生命監督、山下佐知子さん（４４）は「歴史ある大会の最後をこういうふうに飾れて、この世界で頑張りたいという思いがまた強くなった」。来年から舞台を横浜に移す<br />▼流産や死産を癒やす絵本『ごめんね、ありがとう。』（サンクチュアリ出版）を出したイラストレーター３２６（ミツル）さん（３０）。「悲しみを無理に忘れようと苦しんでいる人たちに届けたい。今の社会は悲しみから目を背け、楽しい側面ばかりを見せようとしている気がするから」<br />▼１０月、通算千回の「勧進帳」を奈良・東大寺で達成した松本幸四郎さん（６６）。その夜の満月にしみじみ思ったという。「回数よりも、最高の舞台を何回できたか、今後何回できるかだ」と。 </blockquote><br /><br />過去の失態を失態として認めない姿勢では時代は進まないものだと思います。<br />朝日新聞が自虐史観の虜と批判されようとも、こういう意見が出続ける限りは良心ありし人は購読続けるものでしょう。<br /><br />反面教師は冥王星さんが好きな世界観です。<br /> ]]>
</content:encoded>
<dc:subject>恵理子</dc:subject>
<dc:date>2008-11-30T19:10:00+09:00</dc:date>
<dc:creator>モダンタイムス２００８</dc:creator>
<dc:publisher>FC2-BLOG</dc:publisher>
</item>
<item rdf:about="http://janzika.blog64.fc2.com/blog-entry-55.html">
<link>http://janzika.blog64.fc2.com/blog-entry-55.html</link>
<title>優しさ・寛容さ</title>
<description> 　「優しい」「寛容」
同僚が私を評して言ってくれる言葉です。
同僚から見れば私は「優しい」「寛容」な人に見えたのでしょうが、私はこの評価が怖くありました。

友人は決して私を「優しい」「寛容」とは言いません。私も自分自身をそのように思ったことはありません。
むしろ私は「厳格」「厳しい」人でありたいと思っています。

なぜ同僚が私をそのように判断したのでしょうか？
その理由を精査してゆく過程で「優し
 </description>
<content:encoded>
<![CDATA[ 

　<center><big>「優しい」「寛容」</big></center>
<br>同僚が私を評して言ってくれる言葉です。
<br>同僚から見れば私は「優しい」「寛容」な人に見えたのでしょうが、私はこの評価が怖くありました。
<br>
<br>友人は決して私を「優しい」「寛容」とは言いません。私も自分自身をそのように思ったことはありません。
<br>むしろ私は「厳格」「厳しい」人でありたいと思っています。
<br>
<br>なぜ同僚が私をそのように判断したのでしょうか？
<br>その理由を精査してゆく過程で「優しい」「寛容」という言葉が酷くご都合主義的な意味を持つことに気づかされました。
<br>
<br>何も期待していない人がどんなに失敗しようが、怒りもしませんし、怒鳴りつけたりしません。
<br>それを第三者は「寛容」「優しさ」と解釈してしまったのです。
<br>確かに、それは一面からすれば、「寛容さ」「優しさ」かもしれません。
<br>しかし、本質的にそれが「寛容さ」「優しさ」ではなく「無関心」「無関与」であろうとする姿勢の結果論に過ぎません。
<br>それですら「寛容」「優しさ」と判断できてしまうのです。
<br>逆に期待している人に対して「冷たい」「厳しい」というような第三者の指摘を受けることが多々あります。
<br>しかし、それは期待する人であるがゆえの「関心」「から来る探究心・愛情のような側面があります。
<br>
<br>優しさ・寛容さ、というものを評価する視点が難しいと思えてなりません。
<br>愛情ある中で我慢することが必ずしも優しさ・寛容さではないことも同じことです。

<br>そうやって、考えてゆくと人に厳しい人の方が本当に人間的に素晴らしいような気がしてなりません。

<br>本当に単純に厳しいだけの人もいるかもしれません。
<br>寛容さ・優しさがない人がいるかもしれません。
<br>
<br>しかし、相手のためを思っている「優しさ」「寛容さ」というものを第三者がどれだけ評価できるのでしょうか？
<br>よほど、自分をよく知ってくれている第三者でないと「優しさ」「寛容さ」を見抜くことはできないように思うのですが、考えすぎでしょうか？
<br>
冥王星さんが
<br>”甘いだけの優しさ”
<br>”無関心であるからの寛容さ”
<br>という言葉をよくよく投げつけます。

<br><br>私自身が優しく・寛容に思われた時点で危険な対人関係の状況を確立してしまったようです。 ]]>
</content:encoded>
<dc:subject>モダンタイムス</dc:subject>
<dc:date>2008-11-28T11:16:42+09:00</dc:date>
<dc:creator>モダンタイムス２００８</dc:creator>
<dc:publisher>FC2-BLOG</dc:publisher>
</item>
<item rdf:about="http://janzika.blog64.fc2.com/blog-entry-54.html">
<link>http://janzika.blog64.fc2.com/blog-entry-54.html</link>
<title>イチロー、８年連続のゴールドグラブ賞</title>
<description> ニューヨーク（ＡＰ）　米大リーグで卓越した守備の選手に贈られるゴールドグラブ賞のアメリカン・リーグ受賞者が６日に発表され、イチロー（シアトル・マリナーズ）が外野手部門で、大リーグでのデビュー以来８年連続の受賞を決めた。  日本のゴールデングラブ賞に当たるＭＬＢの大賞。イチロー選手が８年連続の受賞です。とかく、打撃ばかりが話題になるイチロー選手ですが８年の長き間、外野手としてもっとも優れたプレイヤーと
 </description>
<content:encoded>
<![CDATA[ <blockquote>ニューヨーク（ＡＰ）　米大リーグで卓越した守備の選手に贈られるゴールドグラブ賞のアメリカン・リーグ受賞者が６日に発表され、イチロー（シアトル・マリナーズ）が外野手部門で、大リーグでのデビュー以来８年連続の受賞を決めた。 </blockquote><br /> 日本のゴールデングラブ賞に当たるＭＬＢの大賞。<br />イチロー選手が８年連続の受賞です。<br />とかく、打撃ばかりが話題になるイチロー選手ですが８年の長き間、外野手としてもっとも優れたプレイヤーとして評価されることは、継続と安定性含めて大きく評価されるべきことだと思います。<br />　しかも、同賞は、監督・コーチ・記者などの玄人さんの評価ですから、客観性と専門性含めて大きく評価されて然るべき話題だと思います。<br /><br />　中日ドラゴンズの新監督に就任したばかりの落合監督が川合遊撃手を採用したように<br />目立たない職人芸こそプロのプロとしての見せ場だと思います。<br /><br />　私が大好きな横浜で長い間セカンドを務めたのローズ選手は打撃・守備と横浜の要となって活躍しました。決して、記憶に残る選手ではないですし、記録に残るとしても地味な選手は多々います。<br />　しかし、そのような屋台骨を支える選手によって、スタープレイヤーが存在しえることを忘れてはいけないと思うのです。<br />　<br />　私の野球論は適当にして、イチロー選手、ゴールドグラブ賞おめでとうございます。<br />今年は、エラーが８つと多かったようですが、また来年も受賞・ノーエラー選手を期待します。<br /> ]]>
</content:encoded>
<dc:subject>恵理子</dc:subject>
<dc:date>2008-11-08T12:05:44+09:00</dc:date>
<dc:creator>モダンタイムス２００８</dc:creator>
<dc:publisher>FC2-BLOG</dc:publisher>
</item>
<item rdf:about="http://janzika.blog64.fc2.com/blog-entry-53.html">
<link>http://janzika.blog64.fc2.com/blog-entry-53.html</link>
<title>森祇晶</title>
<description> 　冒頭からなんですが、冥王星です。カテゴリですが、同僚の一人で今、冥王星個人ともっとも親しい人です。　そのうち紹介しますが、今回は特別ということで私は西武ファンです。ＷＢＣ監督の問題で、「森祇晶」さんの名前が全く出ないことに憤慨しています。　監督実績からして、彼以上の人はいません。　森監督が常勝西武監督として、輝かしい戦績を残しました。年度 順位勝率防御率1986年 1位..581 3.691988年 1位 .5893.611987
 </description>
<content:encoded>
<![CDATA[ 　冒頭からなんですが、冥王星です。<br />カテゴリですが、同僚の一人で今、冥王星個人ともっとも親しい人です。<br />　そのうち紹介しますが、今回は特別ということで<br /><hr size="1" /><br />私は西武ファンです。<br />ＷＢＣ監督の問題で、「森祇晶」さんの名前が全く出ないことに憤慨しています。<br />　監督実績からして、彼以上の人はいません。<br />　森監督が常勝西武監督として、輝かしい戦績を残しました。<br /><table border="2" align="left"><tr><th>年度</th><th> 順位</th><th>勝率</th><th>防御率</th></tr><tr><td>1986年 </td><td>1位.</td><td>.581 </td><td>3.69</td></tr><tr><td>1988年</td><td> 1位</td><td> .589</td><td>3.61</td></tr><tr><td>1987年 </td><td>1位.</td><td>.612 </td><td>2.96</td></tr><tr><td>1988年</td><td> 1位</td><td> .589</td><td>3.61</td></tr><tr><td>1989年 </td><td>3位 </td><td> .566 </td><td>3.86 </td></tr><tr><td>1990年 </td><td>1位</td><td> .643 </td><td> 3.48  </td></tr><tr><td>1991年 </td><td> 1位 </td><td> .653 </td><td> 3.22  </td></tr><tr><td>1992年 </td><td> 1位</td><td>  .630 </td><td> 3.52  </td></tr><tr><td>1993年 </td><td> 1位 </td><td> .583 </td><td> 2.96  </td></tr><tr><td>1994年  </td><td>1位 </td><td> .594</td><td>  3.81  </td></tr></table>西武時代の森監督は、８年間で一度もＡクラスを逃したことはありません。<br />同時に特筆するべきは、スモールベースボールの特徴である守る野球を体現した数字です。<br />防御率４点を超えたことがなく、２点台という驚異的数字を２年達成しています。<br /><br />「守って勝つ野球」の生みの親のような森監督<br />ＷＢＣ監督として相応しい数字を持っていると思います。<br />西武時代を経て、横浜監督を二年。<br />最終的に横浜監督で最下位を経験しますが<br clear="all"><br />監督戦績は通算で<br /><table border="2"><tr><td>1436試合　785勝583敗68分　勝率.574 <br />リーグ優勝8回、日本一6回 <br />Aクラス10回、Bクラス1回 </td></tr></table><br />森監督は、現役監督ではないこと（ブランクがあること）が選考理由に上らなかった要因と思います。<br /><br />プロ野球の世界は、客観的数字による評価よりも、イメージ論が優先されるものです。<br />西武の森監督は、常勝西武軍団を作り上げても、球団経営として観客動員できない監督だったことが仇になりました。<br />本当にＷＢＣで勝つためには、怜悧にイメージ論ではなく客観的数字と実績で人選するべき、と思います。<br />スモールベースボールの生みの親・成功者としての森監督。<br />彼ほどＷＢＣ監督として、ブランク以外の部分で妥当な監督はいないと思います。<br /><br /><br /><br /><br /><br /><br />　<br /> ]]>
</content:encoded>
<dc:subject>恵理子</dc:subject>
<dc:date>2008-11-03T02:53:39+09:00</dc:date>
<dc:creator>モダンタイムス２００８</dc:creator>
<dc:publisher>FC2-BLOG</dc:publisher>
</item>
<item rdf:about="http://janzika.blog64.fc2.com/blog-entry-52.html">
<link>http://janzika.blog64.fc2.com/blog-entry-52.html</link>
<title>「残念」という日本語</title>
<description> 　「残念」という日本語に関して、素朴に思うことなのですが、「念」を「残す」という漢字構成だと思っています。ここでいう「念」というのは、「気持ち」という意味だと曲解しますが、「残念」という言葉は簡単に使っていないでしょうか？　「気持ちを残しておく」という感覚が「残念」という言葉に感じないのです。簡単に「残念だった」という人がいますが、「残念」といいながら心は残さずにそれっきりという感覚に囚われます。
 </description>
<content:encoded>
<![CDATA[ <center>　「残念」という日本語に関して、素朴に思うことなのですが、<br />「念」を「残す」という漢字構成だと思っています。<br />ここでいう「念」というのは、「気持ち」という意味だと曲解しますが、<br />「残念」という言葉は簡単に使っていないでしょうか？<br />　「気持ちを残しておく」という感覚が「残念」という言葉に感じないのです。<br />簡単に「残念だった」という人がいますが、「残念」といいながら<br /><blockquote>心は残さずにそれっきり</blockquote><br />という感覚に囚われます。<br /><br />「遺憾」という言葉が、反省の意味がないという批判もありますが、これは「残念」よりも”心を残す”意味が強く感じますが、如何でしょうか？<br /><br />日本語の成り立ちや意味を深く追求するとどうしても私は、残念という言葉が軽く感じてしまうのですが・・・・・・・・・深く考えすぎでしょうか？<br /><br />冥王星さんも変わった問題提起で<br />「さようなら」という言葉に関して違和感を抱いていました。<br />冥王星さんいわく別れの挨拶では、<br />「再び会う」ケースと、「永遠かもしれない別れ」では区別する方がいいと感じるようそうです。<br />英語では「ＳＥＥ　ＹＯＵ　ＡＧＥＩＮ」<br />中国語では「再見」<br />という別れの挨拶は、「再び会う」という想定での別れの挨拶です。<br /><blockquote>日本の「さようなら」は死出の別れでも使われる悲しい挨拶だから・・・・・・・</blockquote><br />フランクな人間関係では、「またね」という挨拶になりますが、距離をおいた人間関係の挨拶では「さようなら」になります。<br />これが冥王星さんには堪らないそうです。<br /><br />なんとなく分からなくも無い話です。<br /><br />私は冥王星さんほど感受性が豊かでもないので、違和感をスルーしてきましたが、このような言葉の貧しさは日本語にもあるように思えてなりません。<br /><br />この話をした後、私も意図的に「さようなら」は使わなくなりましたが、不便です。<br /><br />こんなことをいう冥王星さんですが、プライベートではズボラな性格もあって<br />「ごきげんよう」<br />というもっとも多様性・汎用性のある挨拶で済ませることもあるそうです。<br /><br />だから私ももっとも、使いやすい挨拶の<br /><br />ナマステ<br /><br />を使って絞めたいと思います。<br /><br /><span style="font-size:x-large;"><span style="color:#ff0000">ナマステ～</span></span></center> ]]>
</content:encoded>
<dc:subject>モダンタイムス</dc:subject>
<dc:date>2008-11-02T12:28:24+09:00</dc:date>
<dc:creator>モダンタイムス２００８</dc:creator>
<dc:publisher>FC2-BLOG</dc:publisher>
</item>
<item rdf:about="http://janzika.blog64.fc2.com/blog-entry-51.html">
<link>http://janzika.blog64.fc2.com/blog-entry-51.html</link>
<title>[</title>
<description> 
 </description>
<content:encoded>
<![CDATA[  ]]>
</content:encoded>
<dc:subject>モダンタイムス</dc:subject>
<dc:date>2008-11-02T12:15:04+09:00</dc:date>
<dc:creator>モダンタイムス２００８</dc:creator>
<dc:publisher>FC2-BLOG</dc:publisher>
</item>
<item rdf:about="http://janzika.blog64.fc2.com/blog-entry-50.html">
<link>http://janzika.blog64.fc2.com/blog-entry-50.html</link>
<title>テーブルマナーとマナーの心</title>
<description> 　先日フランスのアビニョンのフレンチレストランで会食した席のお話です。高級感の漂うAというお店。敷居の高そうな豪奢な内装・壮麗・秀逸な中庭など贅沢を尽くしたレストランに私と夫は招待客という立場もあって、狭苦しい感じを受けました。席上は高等教育の学術研究者・現場の教育者など総勢７名ほど。レストランは比較的大きく３０席ほどのゆったりとした格調高い雰囲気が威圧感さえ放っていました。正直、私はフランス料理
 </description>
<content:encoded>
<![CDATA[ 　先日フランスのアビニョンのフレンチレストランで会食した席のお話です。<br />高級感の漂うAというお店。<br />敷居の高そうな豪奢な内装・壮麗・秀逸な中庭など贅沢を尽くしたレストランに<br />私と夫は招待客という立場もあって、狭苦しい感じを受けました。<br />席上は高等教育の学術研究者・現場の教育者など総勢７名ほど。<br />レストランは比較的大きく３０席ほどのゆったりとした格調高い雰囲気が威圧感さえ放っていました。<br /><br />正直、私はフランス料理がいつになっても好きになれません。<br />私の言う好きになれないフランス料理というのは、形式ばった宮廷フランス料理のことで、フランスの家庭料理のお話ではありませんので、誤解しないでください。<br /><br />私は定年を迎えた夫を初めて海外に連れ出し、海外で初めて二人で会食という非常に経験のない状況でした。<br />私はまだテーブルマナーは一通りできますが、夫の方は、そういう世界は全く無関係だったこともありまして、同伴したことを多少後悔しました。<br />　それでも、夫婦同伴という暗黙のルールがこういう世界にはあって、初めてでも夫を同伴できることの喜びもあって、少し勇み足で夫を連れてきてしまったことを後悔しました。<br /><br />同席したのは、<br />バリバリのフランス人（悪い意味でいえば生粋のフランス右翼）のご夫婦<br />現場あがりの温厚なフィンランド紳士・同じく現場あがりのベルギー人婦人。<br /><br />夫は昔かたぎな人という部分もありまして、急遽テーブルマナーは教えましたが<br />いかんせん、にわか「テーブルマナー」<br />私の様子を見よう見真似で追っかけますが、職人の器用さとテーブルマナーの器用さは別物だったようで、失敗の連続。<br /><br />それを見たフランス人夫婦はかなり不機嫌。<br />私としても夫に恥をかかせてしまったこともありますが、情けない気分になったのですが、<br />連れの現場あがりのフィンランドの方がフランス語で<br /><br />「旦那さんが窮屈そうにご飯を食べている姿は、不愉快というよりも、勿体無い気持ちになります。<br />テーブルマナーでガチガチになって食事を頂くことは、マナーとしては当然という人がいますが私はそうは思いません。」<br /><br />それに対してベルギーの婦人は<br /><br />「ご飯は美味しく頂く礼儀があるはずです。周囲への配慮からテーブルマナーが生じたようですが、<br />そのテーブルマナーが”周囲にとっての不快の原因”になるなら、テーブルマナーよりも重要なマナーがあるのではないでしょうか？」<br /><br />お二人の言いたいことはなんとなく想像はできます。<br />しかし、フランス人夫婦は、やはり「テーブルマナー」の前提について意見するような姿勢は崩していません。<br /><br />私は、「テーブルマナーを尊重するべき」というマナーを否定しません。<br />しかし、お二人が述べたように「テーブルマナーの目的」という問題提起も重要だと思うのです。<br /><br />なんなく気まずい雰囲気に対して、お二人は連続して、フランス人夫婦を焚き付けます。<br /><br />「食材に対する感謝の心は、我々が食べる行為で成立するものです。<br />そして、ただ食べるのではなく、美味しく頂くことで感謝する心が充実するのではないでしょうか？<br />それは食材に対しての話でもあり、調理したコックさんたちへの感謝の意味も含まれるはずです。<br />硬くなって美味しい料理が美味しく頂けなる不幸は残念で仕方ありません。」<br /><br />「お二人（私と夫）はゲストです。<br />この店は高級店で客にもそれなりの配慮を求める店ではありますが、従業員は彼（夫）の失態に目くじらを立てるようなことはしません。<br />その理由は、その程度のことで場の雰囲気を壊したくないという配慮でもあるでしょう。<br />お二人には大変不愉快とも思いますが、些細な形式的なマナーが味の本質に影響するものではないでしょう。あなた達の心の余裕の問題であり、私は、ゲストである旦那さんをもてなす意味では、テーブルマナーを重要視する時ではないと思います。」<br /><br />私と夫のせいで・・・という気持ちもありましたが正直な感想を言わせてもらえば、<br />不調法な夫でもフランス料理を食べる資格もありますし、何より料理の素材を作る仕事をしてきた人間です。<br />そんな夫でしかも初心者にテーブルマナーを押し付けるようなご夫婦の姿勢を尊重する必要性はどれだけあるのか？という気持ちになりました。<br /><br />フランス語の分からない夫は険悪な雰囲気を察して錚々のないように振舞うので精一杯だったのです。<br /><br />険悪なムードもなんのその・・・高級店のシェフは、客席に挨拶するのが相場なのか？<br />我々の席上にきて、ご挨拶を<br /><br />私もこういう経験がないので、黙るしかなかったのですが<br />シェフがうちの夫を見つけ駆け寄ってくる・・・・・・・・・<br /><br />フランス語の分からない夫に通訳するのだが、どうやら夫の作ったズッキーニを長い間使っていたそうなのである。<br />夫は農家ではなく種の研究をしている人間なのだが、夫の作ったズッキーニが非常に世界各地の調理場で使われているらしく夫は有名だったらしい。<br /><br />そんなことを知らない夫は、ただただ恐縮しているだけだったのだが、<br />一言だけ<br />「花ズッキーニを使ってもらえるとありがたい」<br />という意味の言葉を伝えると<br />ウヤウヤしくシェフは調理場に戻り、ズッキーニの花（「花ズッキーニ」というそうだ）と旬野菜の小品が出されてきた。<br /><br />今度は、シェフ一人ではなく、シェフ３人とグランドシェフ（総長料理長）という面々でテーブルにきて<br />小品を彼らが盛り付けるという惨事？に・・・・・・・<br /><br />どうやら、高級フランス料理店であろうとも、食材への感謝の心は当然らしく<br />夫は国賓のような扱いを受けた。<br /><br />最後には、花ズッキーニの小品が全テーブルに饗応され、夫は有名人に・・・・<br /><br /><br />そこでなんとなく私はシェフとグランドシェフに<br />「料理する側としては、テーブルマナーをどう思うか？」<br />という趣旨の質問をすると<br /><br />「テーブルマナーはお客さんの間で生まれた会食空間での『決まり』です。<br />その決まりにシェフという立場で意見することはできませんが、<br />そのような決まりのために、食事を楽しんでいただけなくなるなら、そんな『決まり』はいりません。<br />でも、この意見はシェフとしての意見ですから、お客さん同士でのマナーの問題である以上は、私達が口を挟む問題ではありません」<br /><br />とのこと。<br />職業人としての本分を弁えている職人らしい回答。<br />それに対して、グランドシェフが<br /><br />「この店は、私がオーナーでありグランドシェフです。その立場から言わせてもらえば、<br />テーブルマナーを尊重したいお客さんには、個室をお勧めするように指導してきました。<br />おそらくその旨も口頭でお伝えしたはずです。<br />会食の場として身分も差別もなく美味しく召し上がってもらうための工夫はしますが<br />テーブルマナーを強制するような工夫は一切したことはありません。<br />ここはそういうお店です。<br />それが尊重できない方には、当店以外の格調高い紳士・淑女たちの会食の場をご紹介しましょう」<br /><br />と・・・・・・<br /><br />「是非にお二人にご紹介してください」<br /><br />と皮肉たっぷりのベルギー婦人<br /><br />・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ヤバいなと思った瞬間に夫が<br /><br />「不調法な男ですみません。<br />自分は皆さんの問題にしているマナーを損なったかもしれません<br />でも、私はそれ以外のことで皆さんを不愉快にしていないと思うのですが如何でしょうか？」<br /><br />と・・・・・・・翻訳しておいて私もふと夫の問題提起を考え直してみれば確かに夫の言う事実関係は重要かもしれない。<br /><br />夫は、テーブルマナーが出来ない。しかし、出来ないことを努力しようとした結果は残っている。<br />一方、口論になりかけたご夫婦とお二人は、感情的になってしまったという失点は批判の余地は大きい。<br />つまり、夫は過失姓の部分で他の誰よりも、情状酌量の余地があるのである。<br />慣れない環境で懸命に相手を不愉快にしようと心がけた夫。<br /><br />テーブルマナーに固執して、本当の意味での食事のマナーを逸脱したご夫婦と現場あがりのお二人<br /><br />結局は、一番夫が許容されうるマナー違反だったのである。<br /><br />そして最後の皮肉をシェフの一人が・・・・・・<br /><br />「テーブルマナーの由来は、一人の料理人があまりにも酷い食事風景に失望して、マナーブックを作ったことから始まります。<br />そのマナーブックそのものは万国共通ではない部分が多いことを当人が認めています。マナーとは”心遣い”と記述されています。<br />自分たちの感情を吐露されただけのみなさんと、周りを配慮して黙っている○○さんのどっちがマナーを理解しているのか？<br />私から結果を言う必要性がありますか？」<br /><br />と・・・・・・・・・<br /><br />その後、夫のおかげで一品おまけがついてきたことを喜びつつ、なんとなく全員で謝ったわけですが・・・・・・・・・・<br /><br />当の夫は、「足りない」と愚痴ったことで<br />その後、フランス家庭料理の店で二回目の晩御飯となりました。<br /><br /><br /> ]]>
</content:encoded>
<dc:subject>モダンタイムス</dc:subject>
<dc:date>2008-10-15T19:03:40+09:00</dc:date>
<dc:creator>モダンタイムス２００８</dc:creator>
<dc:publisher>FC2-BLOG</dc:publisher>
</item>
<item rdf:about="http://janzika.blog64.fc2.com/blog-entry-49.html">
<link>http://janzika.blog64.fc2.com/blog-entry-49.html</link>
<title>再編「明治維新再考察その１」</title>
<description> はじめに　本ブログでは明治維新に関する嫌疑を随所に指摘しているが、今回は幕末通史としてある程度の知識のある人向けに加工したより詳細な個人的観念論的歴史観の記述です。政治的枠組みだけが特にクローズアップされる幕末において経済的側面についても比較的重要な部分を抵触したつもりです。順番に読むと全10回に渡り原稿用紙にすると100枚以上になりますが、なるべく平易に書いたつもりですので、興味ある方は記事をごらん
 </description>
<content:encoded>
<![CDATA[ はじめに<br />　本ブログでは明治維新に関する嫌疑を随所に指摘しているが、今回は幕末通史としてある程度の知識のある人向けに加工したより詳細な個人的観念論的歴史観の記述です。<br />政治的枠組みだけが特にクローズアップされる幕末において経済的側面についても比較的重要な部分を抵触したつもりです。<br />順番に読むと全10回に渡り原稿用紙にすると100枚以上になりますが、なるべく平易に書いたつもりですので、興味ある方は記事をごらんになってください。なお、現在第８回まで進んでおります。<br />読む前に注意しておきますが、本作は基本的に薩長倒幕派の評価が低く幕府派贔屓になっています。特に一橋慶喜の評価や幕臣の評価なども注釈がありますが、そちらに関しては他意はなく好みの問題です。<br />なお、本記事への質問などは自分が対応しますが、アシスタントＳが日本史が自分よりできるので十分対応可能だと思いますので、一部対応させていただきます。<br />それは第一回から<br />今回のテーマは<br />「世界が日本を支配するというシナリオ」という問題です。<br /><br /><hr size="1" /><strong>・日本の地理的国防要素と武士の変質</strong><br />　日本は言うまでもなく四方を海に囲まれた天然の要害に守られた国家であった。それを例示するように過去、日本が外国から進攻を受けたことは明治まででは元寇の二回のみであると言える。<br />　日本から海外への進攻も数多くなく当然ながら、攻守に渡って日本の平和を構築したという地理的分析も可能である。<br />　それがゆえに日本の国防意識は今も昔も希薄という批判があるのは指摘するまでもないだろう。<br />　しかし、この要害はある種、防衛における最大の利点であることを含めて今後の防衛構想でも生きることだろう。<br />　もちろん、航空戦力による地平、水平障壁のの無力化は加味されるものではないが<br />歴史学的に考察するに、日本の国防意識は陸続きの大陸国家ほど高くないのは仕方ないにしても、まず武家社会という封建社会による地域型政治という形態で、地域防衛の必要性は意識されていたことは評価するべきだろう。<br />　明確に「戦国時代」のように地域ごとの闘争状態が現出したわけでもないが、静かな統治環境にしても武家社会はその封建契約を前提とした秩序維持に邁進していたという分析が可能である。<br />　しかし、江戸時代になると、武家社会としての武断的要素への意識が低くなるのは、たとえば、大久保彦左衛門の※「三河物語」などで抵触されているとおりのことである。<br /><blockquote>注意：大久保彦左衛門の「三河物語」は士道を語る上での戦国時代末期における重要な資料であるとともに江戸初期の世相と幕藩体制への武断家の感想文として一級の資料である。内容は、武断派だった三河譜代の家臣が疎んじられ、官僚型の文治官僚が出世する幕府を謗っているのだが、文面は武断時代の幕府を懐かしむことの必要を問わないでいる部分では、彦左衛門の政治感覚の鈍感さではなく、一流の愚痴家の文面と評価できる。注意するべきは、これが単なる個人の愚痴ではなく、“士道とは”という立脚点における見解が並んでいることにある。朱子学が江戸末期になると隆盛するのだが、いわゆる典型的封建時代の武士の生き様の「一所懸命」と安定的文治政治時代の文治官僚の生き様の「一生懸命」の差異に留意して読んでほしい</blockquote><br />　ここで指摘するのは、江戸時代が文治政治として本来あるべき封建社会における明確な土地への執着からその生産物である「米」そして、貨幣への価値の偏向が起きていることに問題がある。<br />　俸禄として付与されるものは米ではなく、石という土地であることは封建社会であると言えるのだが、江戸時代などではより旗本、御家人は領地経営を積極的に行うことはなく、徴税権も事実上商人に委任しているようなものである。これは鎌倉、室町幕府の武家では見られない部分であり、当時の武家ではありえない武士の肖像である。<br />　封建領主としての領土支配の方法があまりにも官僚主義になったというのが簡単な見方だろう。<br /><br />　案外触れられていないのが、江戸時代の旗本、御家人は封土を直接経営することは稀である。江戸屋敷にいるのがほとんどで幕府より役回りがある以上は、幕府に詰めるのは仕方ないにしても、封建社会の領主としてはいささか姿がない存在である。<br />　徴税権を商人が委任されていたという評価をしているが、これは実際は地方の組合、寄り合い制度に依存した徴税システムが多いという評価が妥当である。いわゆる庄屋などの村三役がより地方統治に大きな影響力を持っていたというのが天領や旗本、御家人の封土の現況である。<br />　さて、このような状況では武士が土地、封土への執着が強くなる土壌は少なくなるのは言うまでもないだろう。<br />　「文治官僚が出世する世の中はある種、ゴマすりの旨い奴が出世する世の中」だと大久保彦左衛門が評しているが、過去の武家社会の武士肖像からすれば、その評価は誇張ではない。現代社会もそういう世界である。<br />　そういう部分の根っこは維新によっても変化していないことは皮肉な事実である。<br />　今回は朱子学が官学になってからの武家社会の変容過程は儒教的分析が重要なのだが割愛する。簡単に評するならこうなる<br /><strong>朱子学以前の武士の肖像は<br />「領土経営に勤しむ領土経営責任者、領土防衛責任者」<br />それが朱子学によって<br />「君主に懸命に仕える中央集権官僚・忠誠の価値を第一義にする片務的契約関係者」<br />と変質する。</strong><br />　個人として、これを、士道、武士道への変化だと認識しているのだが、今回は明治時代考察なので別項に譲りたい。<br /><hr size="1" /><strong>・外洋船舶技術の差異</strong><br />　諸外国の外洋船舶技術に関してなのだが、まずはその変化について<br /><em>蒸気機関による蒸気機関外洋船が生まれる（１８０７）<br />鉄工法の造船技術が生まれ（１８２１）<br />スクリューによる船の駆動も実用化される。（１８４３）</em><br /> 上記の三点の技術革新は重要な外洋船舶技術の飛躍になる。<br />蒸気機関によって動力が確保され、鉄によって飛躍的に船の強度があがり激しい外洋の時化（しけ）にも対応できるようになる。スクリューの実用化はより効率のよい駆動力を提供する動力伝達手段となったわけである。<br /> 比較して当時の日本の船舶に関してだが、和船という形状が多い。<br />イメージとしては、横幅が広い日本の船に比較して、スマートなのが西洋船舶というものが妥当である。<br /> 一見してスマートな西洋船舶は安定性にかけると思われるが、波のネジレ応力に耐えるのは不向きであったためにバラバラに破壊される傾向にあった。<br /> 西洋船舶は船底に敷居を設けることで侵水時の被害を敷居毎で抑えることになったことも船の生存率を飛躍的に変えたと言える。<br />　日本の船舶技術は鎖国によって諸外国に大きく遅れたことは言うまでもないが、これは技術的な側面もあるが、幕府政治が船舶の大きさなどの規制があったことが大きな要因であろう。<br />　商船などは日本でも存在し、日本の近海を奔走していたわけだが、それに関しても幕府の強い統制化にあったことは言うまでもないだろう。<br />　ここで船舶の技術的差異は幕府の責任に帰しているのだが、幕末になると幕府は国防力を高めるために、オランダなどの諸外国から積極的に技術導入を図ることになる。<br />　小栗忠順などの幕臣が国産化への橋渡しをしたことは、今日の日本の造船技術、造船設備の歴史において多大な功績があるということを指摘しておく<br />（本ブログ内でも指摘しているのだが、戊辰戦役当時の海軍力では幕府側が優勢であった。戦術的な分析論は大村益次郎が指摘しているのだが、決して、<span style="color:#ff0000">新政府軍に勝てないほど、圧倒的劣勢ではなかったことに留意してほしい</span>。紙一重という評価は妥当とはいえないが、挽回が容易であったことは多くの識者も認める部分であり、<strong>”薩長の圧勝”、というのは是正するべき歴史観であろう</strong>）<br /><hr size="1" /><strong>・エネルギー革命・通商・市場を求めて</strong><br />　産業革命によって石炭が重要な原動力になったことは多くの人が理解していることである。<br />　しかし、鯨油が家庭専用の照明や機械の潤滑油に活用されていたことは、日本の捕鯨基地としての意味をもたらしたのである。<br />　ここであえて、注意喚起しておくが、実は列強の多くが鯨油を求めていたわけではない。鯨油を必要としていたのはアメリカである。<br />　他の列強は、それらの需要を代替資源を市場として植民地に保有していたと認識するのだが正しい。”なつめ椰子”などは潤滑油にも活用できる資源であり、かの奴隷海岸やインドネシアなどが重要な生産地として植民地として収奪されていったのである。<br />　列強にとっては、植民地市場として開港と市場開放に必要な通商と有利な貿易体制を構築するための、関税権利の剥奪というものが必要だったことは言うまでもない。ここにアメリカは捕鯨基地としての重要性があったというのが、アメリカが開港に熱心だった背景がある。<br />　欧州列強の当時の概況を分析する必要がある。イギリス、ロシアはクリミア戦争を始め、オスマントルコにかかわる問題でこの時期は戦火が激しい時期であり、イギリス・フランスは中国での利権争いで一触即発の状況である。このような状況で日本に開港を要求していたということである。<br />　比較的幕末の歴史を語る識者は当時の世界情勢に対する見地が低い。<br />　特に、英仏の植民地政策の基本路線・アメリカの状況についての見解は浅慮というものが多い。<br />冥王星個人からいえば、アメリカ・ロシア以外は日本を直接的に植民地経営するメリットがないし、そのための財力さえない。<br />　例外であるアメリカ・ロシアの当時の実力を考えれば、英仏との関係性を含めて日本への侵攻というものは非常にリスキーである。<br />　反論する中で、薩長が列強と戦争したという事実を提示する人はいるが、戦争と戦争後の支配では戦力の投下の仕方から違うことを忘れていると看破できよう。<br /><hr size="1" /><strong>・列強が日本を侵略するというシナリオの現実性</strong><br />　上記で列強の当時の概況を説明しているのだが、まず<br /><strong>「この時期での本格的日本への侵攻が可能だったのか？」</strong>という部分では非常に幕府も危機感があって然るべきであるのは言うまでもない。<br />　しかし、現実に”諸外国が圧倒的な技術力で日本を蹂躙できたのか？”という分析がされていない。<br />　<span style="color:#ff0000">幕末明治維新論において、可及的速やかな改革を喧伝していた薩長側の浅慮さを提示できる関連情報である「列強の余力」という問題は、なぜか歴史家から詳細に語られることはない。</span><br />　<u>それは、幕末通史の歴史家の多くが、列強の実力に関する知識・情報を欠いていることにある。<br />　逆に言えば、幕末人物史の影響から列強を観察しているに過ぎないという歴史家が多いことも重大な問題点であろう。</u><br />　特に中国のアヘン戦争の分析などは、どの歴史家も詳細の分析を行うことなく、イギリスの余力を喧伝している。<br />　「支配するためのパワーと侵略するためのパワーのどちらが膨大なのか？」<br />という問題提起は、大東亜戦争の中国支配で理解されるべき問題であるのに、そこまでの反省のない幕末論が罷り通っているから、幕末史は危険極まりない、と言えるだろう。<br />　確かに、西洋列強の船舶の強さは否定できない。<br />しかし、その数は非常に少ないし、カバーできる海域も狭い。<br />もちろん質的な部分では列強船舶が圧倒するだろうが、広い海域を全面的にカバーするほどの技術的優位性があったとは言いがたい。<br />イギリスの植民地支配の方策は海上支配である。制海権をもってして統治支配の暴力を補完するものであり、当時の船舶の火力は、機動性の高い小型船舶のゲリラ作戦によって制約できることはインドや中国の抵抗運動でも明白である。<br />　日本という島国の地形は、外洋船舶の航行の制約性を効果的に生かせる地形であった。<br />　幕末当時の列強危機というのは、ヒステリックな部分が多いと言える。<br />　それは、列強戦力の全体像だけを見て「戦略的に勝てない」という決め付けに至った。その決め付けは日本的な防衛方法という日本独特の防衛思想の存在を忘却させるほどのインパクトがあったのだろうが、幕末志士は思想的過ぎたのだろう。<br />　大村益次郎の言説を追っている歴史家も認めたことだが、大村は列強進攻を恐れていなかった。少なくともそれを想定した説話がない。<br />　通信技術の限界射程の問題と高速移動の可能になった現代兵器では想定できないだろうが、この時代では戦線をカバーリングできる後方射程は限定される。<br />　ここに指摘することは、いわゆる日本が列強の兵站を絶つことが十分可能だったことを想定している話である。<br />　次に日本の地形的な要因が挙げられる、平地が少なく山がちな地形の日本は決して大陸型兵器の運用に適した地形ではない。<br />　日本海側、太平洋側と二面的に戦術的展開が可能な状況ではないと戦地運営に支障があることもいうまでもないし、兵站問題が控えている。つまり、大陸型兵器としての活用の限界が日本の地形にあるということである。<br />　日本の海岸線は砂浜が少なく海岸線と遠浅の海が広がり、揚陸作戦が困難な場所が多い。<br />　単純に海に囲まれているだけではなく、海岸線の地形的特徴を考えれば、大規模な陸上兵器の投下が難しいなど、日本が列強に侵略される可能性など極めて根拠のない悲観的分析である。<br />　このような分析は実は、薩長統幕派の喧伝というのが冥王星の見解である。<br />　さて、ここに記した防衛的見解には、沖縄と北海道は含まれていないことは予め指摘しておく。<br />　当時の幕末志士の世界観に北海道・沖縄は存在しないのであり、現代の「日本」とは違うのである。<br />　日本が外国に蹂躙されないと言える最大の根拠は港の構造がある。<br />　盲点というべきか、理解されていないのだが、当時の西洋船舶が寄港できるような大型の良港は神戸、横浜以外にはないのである。<br />　港の深さなどの問題は海運関係者などでは現代でも懸案になるものだが、当時の日本の近海商船は背が低いものが多かったことが幸いしている。甲板が高い位置にある西洋外洋船舶から荷物を降ろすのには、大型兵器は分解する必要もあるなど障害が多いのである。<br />　以上が<br />　幕末において、列強が日本を蹂躙する可能性を否定する論拠である。<br />　多くの方に認識してほしいのだが、幕末当時は確かに国防において、問題が山積し幕府に解決能力がなかったことは否定できないのだが、ハード的に列強が日本を蹂躙するだけの状況も環境もできていないという分析も可能なのである。<br />　実際、維新において非常に高い見識を見せている人の中で日本が列強に蹂躙される可能性を現実視してる人は少ない。<br /><hr size="1" /><strong>・市場としての日本の魅力</strong><br />　政治的な側面から日本が列強の実質的支配を回避するだろう根拠を明示しておきたい。<br />　それは植民地市場としての人口と商品流通の問題である。<br />日本は当時、アジア地域の最大とも言える人口を保有していた国家である。<br />幕府の支配下の元、商人が商品を流動させていた部分では、その幕府を抑えることで商品の流通が統制できると思うのはそれほど浅はかではないだろう。<br />　江戸、大阪などではいわゆる御用商人など筆頭として、資本カルテルのような商人が商品流動と価値を統制していた。<br />　彼らを列強が暴力を恫喝するのは想定できるのだが、彼らの協力なしに商品を流動させることは不可能に近いと言える。<br />　それは日本の現状の卸売り、中卸などの存在などが示すように消費傾向を小売以外の段階で注視してる業態があることから容易にに想像できるだろう。<br />　つまり列強が商品を流通させたくても、結局は有力商人が自分の身を削って流通させるわけではないことからもある程度のレベルで収まるだろうということが想像可能なのである。<br />　それに江戸時代は決して、西洋社会のような大量消費、大量生産の世界ではなく、優れたエコロジカルな経済体制であることは近年評価が著しいことである。このような消費、流通状況を考えると決して、市場が列強の生産物を嬉々として需要したとは言えないだろう。<br />　このことも当然、列強も分析できることであるし、もし市場進出しても結局は、尻切れトンボになるという論拠である。<br />　ちなみに、日本で外資系スーパーが隆盛しないのは、流通における消費傾向を外資は的確に捉えられていない証拠だと個人として認識している。（「といざらす」を成功例にあげる人がいるが、現在では本社は資本撤収している）<br />　西洋式の生活文化への理解の問題がある。日本が急速に西洋化した背景には、明治政府の病理的とも言うべき西洋化政策である評価もあることは言うまでもない。<br />　列強が幕府側にそのような政策を強いる可能性はあるにしても江戸時代の現状においてより権力者が西洋的な商品を需要するというのは困難である。事実、開港後、日本では西洋式の文化が少しづつ進攻してゆくが、その需要は非常に限定されたものであることは、鹿鳴館への皮肉歌などからも想像できるだろう。<br />そして一番致命的なのは、日本が市場としては一方的消費基地にしかなりえないという最大の市場の弱点が挙げられる。<br />　中国などの列強の植民地は概ねマニファクチャリング業態の原材料提供拠点としての重要性を消費市場としての両面の価値があった。しかし、日本はそれらの原材料の生産拠点としての可能性が期待できないのである。<br />　これは単純に日本の気候風土の問題もあるが、水田という稲作に特化した耕作地事情も加味して評価するべきものがある。他の植民地のように、「往復で積荷で満載される」であろう市場とは日本は違うのである。これは運輸業界の人には痛切に理解できる「空便」という現状である。これほど致命的な市場としての欠損を西洋が理解していないわけではないのである。<br />　以上は、政治的に物理的に言える列強にとっての日本の市場としての相対的価値の問題点である。<br />　これらの指摘を踏まえて、いわゆる明治維新の早急な革命の必要性に関しては、問題提起しておく。<br />　これは、薩長や維新獅子のいう早急なる日本の革命の必要性を否定する論拠として留めておいてほしい。 ]]>
</content:encoded>
<dc:subject>冥王星</dc:subject>
<dc:date>2008-10-15T12:28:16+09:00</dc:date>
<dc:creator>モダンタイムス２００８</dc:creator>
<dc:publisher>FC2-BLOG</dc:publisher>
</item>
<item rdf:about="http://janzika.blog64.fc2.com/blog-entry-47.html">
<link>http://janzika.blog64.fc2.com/blog-entry-47.html</link>
<title>憲法再論「国民投票法）</title>
<description> 国民投票の基礎知識と著者の立場１：国民投票法の基礎知識　国民投票法は、憲法改正に関しての憲法９６条の規定を実用的にするために、新規作成された「手続法」です。　　国民投票法の正式名称は「日本国憲法の改正手続に関する法律 」という。国民投票法という名称そのものは憲法９６条の記述に基づいた法律であり、９６条　（憲法改正）１．この憲法の改正は、①各議員の三分の二以以上の賛成で、国会がこれを発議し国民に提案し
 </description>
<content:encoded>
<![CDATA[ 国民投票の基礎知識と著者の立場<br /><br />１：国民投票法の基礎知識<br /><br />　国民投票法は、憲法改正に関しての憲法９６条の規定を実用的にするために、新規作成された「手続法」です。　<br />　国民投票法の正式名称は「日本国憲法の改正手続に関する法律 」という。<br />国民投票法という名称そのものは憲法９６条の記述に基づいた法律であり、<br /><br />９６条　（憲法改正）<br />１．この憲法の改正は、①各議員の三分の二以以上の賛成で、国会がこれを発議し国民に提案して<br />　②その承認を得なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行われる投票において、その過半数の賛成を必要とする。<br />２．憲法改正について全項の承認を経たときは、③天皇は、国民の名でこの憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する。<br /><br />と条文にある通り、憲法改正手続きには国民投票が行われることを由来として「国民投票法」と通称されます。<br />　憲法改正の手続きとして憲法上では三段階の手続きを規定している。<br /><table><tr><td>①国会の発議</td><td>（国民投票法６章→国会法改正部分）</td></tr><br /><tr><td>②国民の承認</td><td>（国民投票法１～５章）</td><tr><br /><tr><td>③公布</td><td>（国民投票法に規定なし）</td><tr><table><br />　国民投票法は実態としては、①と②の手続きを規定しており、そのほとんどが②の「国民の承認」つまり国民投票に関する規定で構成されています。<br /><br />２：憲法改正の手続法の政治的正当性<br />　護憲派からすれば、「憲法を改正する目的の立法行為が憲法違反」という主張もありますが、９６条に規定されているように、日本国憲法は改正するための方法論を抽象的ながらも明示しているのであり、護憲派の「憲法自体が改正を前提にしていない」という言説は否定されるべきものでしょう。<br />　一方、憲法制定権利者としての国民が、憲法改正の権限を持っていないという道理もありません。憲法改正には、権利者である国民の制定権として正当性がある、という構造が日本国憲法上に想定されることは理解できない話ではないでしょう。<br />　冥王星流儀でいえば「国民投票行動を行わせないことも、国民に付与されている主権行為である」ということ考えられる。<br />　つまり、<br />改憲にとっては<br />９６条が規定している改正の手続法に関しては、憲政上での制定行為の合理性があるものであり、これを否定することはできない<br />護憲派にとっては<br />憲法制定権利者として、憲法を死守する<br />という両者の政治的立場の競合状況を否定する必要性はないのである。<br />もちろん、これは立憲主義社会を前提とした話であり、憲法が最高法規であり、かつ国家権力と国民の権利義務関係を明示する基礎法規である限りは、憲法制定権利者としての国民の自由なスタンスは否定できない。<br /><br />３．冥王星の立場として<br />　冥王星は「護憲的解釈改憲派」である。<br />より妥当性があると言える表現で言えば、「加憲論」である。<br />　そもそも、護憲であろうと改憲であろうと日本国憲法の三大原則を根本的に否定することは難しい上に、自己矛盾を発することになる。<br />　事実上、日本国憲法改正には限界射程があるというのは、国民が制定権者であることが起因する。<br />　。<br />　簡単に憲法としての独自性を提示するならば<br />①コモンロー的シビルロー<br />②不戦条約を踏襲した非武装的平和主義<br />③硬性憲法<br />という三点は普遍的に問題点にされるものがあるだろう。<br />特に、①のコモンロー的シビルロー（英米法的な大陸法→判例主義的実定法）という憲法の視点は諸外国とは比較にならないほど憲法問題を複雑化させている。<br />　ただし、実態的に改憲論の多くは②の平和憲法としての現実性のテーマを主体として論争しているが、この論争は安保闘争時代から継続的に国政で議論され、結論を見ていない。<br /><br />　自分を「加憲論」と位置づける論拠は、あくまでも現状の日本国憲法を改正するのではなく、<br />「条文を付け足す、修正事項を設ける」　<br />という考えから「加憲論」の立場を取るものである。<br />　今の改憲論は憲法９条の是非論が主体的であるが、これはこれまで継続的に論争されて結果、具体的な草案さえ創出されていない現状がある。<br />　９条だけを論題にしている改憲論は視野狭窄であるという批判もあるが、近代社会の憲法を視点にして構築された日本国憲法は制度疲労を迎えているという部分は少なからずあると認識する。<br />　新しい人権概念が続きと創出され、世界規模での問題提起が行われ、それに対して日本国としての立場・日本国民としての立場について国家戦略的な部分を持つ現行憲法は時代錯誤という部分は過分にあるだろう。<br />　「環境権」・「人間の<a href="http://blog.fc2.com/tag/%B0%C2%C1%B4%CA%DD%BE%E3" class="tagword">安全保障</a>」などの新しく重要視されている市民権などに憲法がまったく配慮しないでもいい、という状態を放置されているのは問題だろう。<br />　これらの新しい権利は、憲法で規定されるべき重要な市民権としての確立と感じる市民は少なからず存在し、彼らの憲法制定権者としての主権を尊重するにも、改正議論を否定することは、主権在民という憲法である以上は護憲派も出来ないことであろう。<br />「修正事項」という考えは、「アメリカ連邦法」（アメリカの憲法）は多くの「修正事項」を抱えて成立していることをモデルにしている。<br />具体例は<br />などであり、<br />アメリカ連邦法本体から時間の経過に対して、修正事項として新しい権利を盛り込むようになっている。<br />「条文の付けたし」というのは、簡単に関連条文に新しく加えられるべき条文を付記することである。これは「改正」ではないことになる。<br />　<br />　「護憲的解釈改憲」というのは、これまでの憲法のあり方であり、現状維持に近いと思っても間違いない。<br />　日本国憲法そのものが、コモンロー的であるという指摘は、憲法の実態が司法・行政の解釈の支配下にあり、制定権者の意志では憲法は運用されているとは言い切れない。<br />　このような現状が長く続いた日本国憲法であるが、国民から大きな批判は起こるものの、そのたびに国民が妥当な政治選択を行えるものではなく、むしろ行政・司法側の憲法判断の妥当性の方が信用できることにある。<br />　逆にこのような姿勢は、現行の行政の憲法解釈者である「内閣法制局」の憲法支配という問題点があるが、これは関しては別の機会を儲けて問題解決の方法論を提示したい。<br />　つまり、憲法問題に関しては、現状維持派というのが簡単な理解だろう。<br /><br />　　<br />　<br />  ]]>
</content:encoded>
<dc:subject>冥王星</dc:subject>
<dc:date>2008-10-13T19:56:25+09:00</dc:date>
<dc:creator>モダンタイムス２００８</dc:creator>
<dc:publisher>FC2-BLOG</dc:publisher>
</item>
</rdf:RDF>