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応報・教育刑の狭間と死刑制度
【2008/08/16 】   冥王星      トラックバック(0)   コメント(3)
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「死ぬ」ことの恐怖という刑罰は普遍的ではないことがある。
自分の結論からいえば、死刑原則禁止の例外措置を設けるスタンスである。

 <応報的なスタンスにおいての「死刑」を考える>
概ね死刑容認論における主張の核は、
①死刑による抑止効果
②被害者の慰撫
の問題を提示することが多いわけですが、その当たりの評価を再考察してみたいと思う。
”①死刑に抑止効果について”は死刑によって、”反省、後悔の念、良心の呵責に苛まれることが終止すること”をどう評価か、という問題がある。
「本当は生きてる方が辛く応報的な状況もあるのでないでしょうか?」
そういう部分で応報刑という概念における死刑は実は普遍的に機能性があるとは言い切れません。
「死んだら終わり」というのは、むしろ「死の恐怖」のない者には抑止力にはなりえないことも想定されます。
オウム真理教やイスラムテロなどの過激な事例を考えると、彼らに「死の恐怖」は希薄であり、死刑が抑止になるというに及ばない典型例である。
下手をすれば、組織内で”死刑にされた受刑者”が殉死英雄視されることも想定できる。
歴史において、死を受け入れた人を英雄視するようなことは案外多い。
死刑によって事犯が永遠に闇に葬りさられる事件もあり、真実を知りたいとする被害者や国民の意向を消し去ることも問題である。
 「死にたいから死罪に相当する罪を犯す」という”死罪になるために罪を犯す”という事例を見てしまうと死刑を肯定する難しさがあるだろう。

”②被害者の慰撫”に関してはもっと皮肉なことに、殺人罪の被害者家族が死刑廃止を唱える構造になっている。
一時的な感情の起伏が被害者とその周囲が冷静な判断を下せない背景もあるし、加害者を理解するための措置をもって応報刑を考えるべきだと思うのだが、その点では応報は懲罰を課せばいいという短慮だと思える。
例えば、より応報的に受刑者に現実社会で犯罪者としての差別的取り扱いを望む人もいるだろうし、刑務所という人権の最低保障のある空間は逆に贅沢だと思う被害者もいるだろう。

なにをもって応報とするか、ある程度は被害者の慰撫を目的とするならば、被害者の要求に合致させたものの方がいいこともいえる。(復讐的な意味での刑罰を認めるわけではないが、慰撫を主張する人に対しての掣肘の意味であるべき応報の姿というものを固定化せずに提示したまでのことである)
 上記のような側面を鑑みると応報刑概念において死刑を積極的に容認することに違和感がある。
つまり応報形としての死刑論は、本当に応報と解することができない可能性を想定する議論が必要だと思うのである。

 教育刑的なスタンスにおいての「死刑」を考える
自分は教育刑論者なのだが、死刑を原則反対するにしても例外は設けるべきだと思う。
 死に近い受刑者に教育的指導を行うことに意味があるとは言い切れないし、
矯正プログラムを適用する必要がない以上に、反省した受刑者で死刑を自ら望む者などは、被害者も死刑を希望し、事犯の事実関係が明確化しており、一定の期間が経過してるケースでは、受刑者の自決権と社会的要求に即応する形態で「死刑」を例外的に認めるべきだと思う。
 つまり、犯罪者と被害者の同意での死刑を死刑廃止の原則の例外として想定するべきであるということである。
 これは、「死ぬ自由、権利」の発展的な容認であり、擬似的死刑の形状である。

現実、教育的指導によって更正した老齢受刑者が社会に戻れることは少なく孤独死などの形態になることがまま存在することなどは悲惨な社会の現実であるようだ。
 その受刑者が自らの意志で「死刑」を望むならば容認するべきだと思う。(同時にそれを撤回する権利も認めるべきである)
 教育刑的な指導によって更正したとして、受刑者自身がそれで不足と思うことがありえるケースもある。
 その場合、被害者側の求刑を受刑者が受け入れるならば、それを適用してもいいとまで思う。

上記のような相互同意によって、刑罰を決めることは、法概念的には原則論である罪定法廷主義を否定するようなものだが、その効用は相互に計り知れないものではないだろうか?

 法が合意形成で形成される一方でそれはとても大雑把な掌握でしかないわけで、個別案件において合意形成が可能ならばそれを認めるシステムでもいいと思う。もしくは、その大雑把な法の罪定をボトムとした上での合意形成であってもいい。

死刑論争は多くの議論がなされている。
しかし、何が応報で、何が教育なのか・・というあるべき主題が放置されているものが多い。
今回はその回答はできないわけだが、このテーマは当事者の価値観、信念によって可変的であり、固定化するものではないと思う。

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この記事に対するコメント
【2008/08/17 21:22】URL | 通りすがり #Rdt3XBbw[ 編集]
http://ja.wikipedia.org/wiki/死刑存廃問題#.E5.AD.98.E5.BB.83.E8.AB.96.E8.AB.96.E4.BA.89.E7.9B.B8.E9.96.A2.E5.9B.B3
終身刑や無期懲役にしても、「統計的」には明確な抑止効果は証明されて
いない。死刑の抑止力を肯定する統計も存在する終身刑や無期懲役が
死刑と同等の抑止効果を持つことが証明されない限り、死刑を廃止すべきでは
ない。また死刑の存在が累犯を防止する役割を果たす場合もある。

> 殺人罪の被害者家族が死刑廃止を唱える構造になっている。
はあ?
どこの国の話をしてるんでしょうか?


【2008/08/18 11:09】URL | 路傍の人 #-[ 編集]
>殺人罪の被害者家族が死刑廃止を唱える構造になっている。

日本の話でありますw
例えば、松本サリン事件被害者の会のメンバー
地下鉄サリン事件の被害者の方々

死刑反対論を堂々とやっています
なぜ、それが知られていないのか?
これは謎です。
ちなみに、そういう私の知り合いにもそういう方がいらっしゃります。
現在、死亡交通事故の遺族の方で死刑反対論をやってる団体もあるくらいですから・・・

なぜ公開されないのか?
という理由は非常に簡単で感情論的な部分で理解されないから公開できないのです
つまり、死刑賛成論が反対論を感情論的に抑止する圧力を行使しているせい、とも言われますが事実は不明です。

こういう方々が公式の場所で議論すらできない状態を作っているのが
死刑賛成論者という皮肉は笑うに笑えない事実でしょう。


もっとも、このコメントに関しては論外という処断をしておくべきでしょう
そもそも、理論なぞなき感情論の駄文である。

>終身刑や無期懲役にしても、「統計的」には明確な抑止効果は証明されて いない。死刑の抑止力を肯定する統計も存在する終身刑や無期懲役が 死刑と同等の抑止効果を持つことが証明されない限り、死刑を廃止すべきでは ない。また死刑の存在が累犯を防止する役割を果たす場合もある。

まったく論理的立証がないことは言うまでもないでしょう。
例えば、
「終身刑や無期懲役にしても、「統計的」には明確な抑止効果は証明されて いない。」
そもそも、終身刑や無期懲役が抑止効果があるとも証明がないし、死刑でも抑止効果の立証はない。
そもそも、それらの刑罰が存在しない法体系を経ていないのだから証明しようもないのだw
こんな発言はまったく意味がないとしかいいようがないw

そして、最後の駄文はこれだ
「死刑と同等の抑止効果を持つことが証明されない限り、死刑を廃止すべきでは ない。また死刑の存在が累犯を防止する役割を果たす場合もある。

そもそも、死刑の抑止効果さえ証明されていないのだw
従って、死刑と比較論できるないのだw

非常に稚拙な文章であり、論理はまったく介在していないのが分かる。
まったく数学の証明のやり方を知らない小学生の感想文でしかない。


冥王星さんのメルマガの方々を手を煩わすような文章ではなく、駄文と断定しておこうw


【2008/08/18 11:42】URL | 中年オヤジ #-[ 編集]
考えている人は考えているものですね。

私は、死刑反対論ではありませんが
被害者感情論を優先する現状を危険だと思います。
逆に、被害者の感情において、死刑に反対されると死刑賛成論者は不都合なのは、アメリカの死刑制度の議論でも話題になりました。

この記事では、被害者側の死刑要望という要件を死刑に設けることを提案していることは重要な視座だと思います。
被害者遺族がこれ以上苦しむことのようないように、死刑という最高刑は被害者の同意によって成立するべき要素が多いと思います。

実際、死刑にするより、永遠に刑務所で苦しませたいという被害者遺族もいらっしゃるようですから、被害者感情を優先するならば、死刑を裁量権があってもいいかもしれません。

ただし、私は被害者感情論で法が可変的になるような状況は問題だと思います。
被害者感情論が、そのまま劇場型民主主義の同情から擬似的被害者感情論を形成するのは、大きな問題があるでしょう。

死刑論の視点で、刑罰論を行うのは比較的多いので、辟易している。
ただし、被害者の死刑棄却要請という視点はあるべきかもしれない。




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