FC2ブログ

論題はそこなのか?
検索・フォント調整 ×

スポンサーサイト
【--/--/-- 】   スポンサー広告  
この記事のURLhttp://janzika.blog64.fc2.com/?overture" target="_new
記事内のユーザータグ

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


「動物の権利」を想う
【2008/08/27 】   モダンタイムス      トラックバック(0)   コメント(0)
この記事のURLhttp://janzika.blog64.fc2.com/blog-entry-28.html
記事内のユーザータグ

(2007年1月分抜粋)
 動物を飼うことが、人類の発展に大きく寄与したことはほぼ間違いない。
その共存していた人類と動物の関係の変化が弊害を発生させる問題である。

 具体的に、動物の権利(animal rights)という概念の発展から考える要素があるだろう。
「動物の権利」は人と等しく動物が幸福に生きる権利があると叫ばれるようになった。
簡単に概略を説明すれば
ピーター・シンガーが1975年に出版した「動物の解放」(ANIMAL LIBERATION)をきっかけに、世界中に広まる。
シンガーはその著書の中で動物は苦痛を感じる能力に応じて、人間と同等の配慮を受けるべき存在であり、種が異なる事を根拠に差別を容認するのは種差別(スピーシズム)にあたるとした。
さて、この考え方は哲学的な見地から様々な視点で論じられているので、いくつか抜粋する。
 ジャン=ジャック・ルソーは、『人間不平等起源論』(1754) の序文で
人間は「知性と自立した意思を欠いた存在」でこそないものが、出発点は動物である。
さらには動物は感覚を持つ存在であるため、「自然権を持つものに含まれるべきであり、人間は動物に対して責務を負っている」
従って「無益に虐待されることのない権利を有するものである」
 ルソーの動物の自然権の問題は、自然権が生来ものであることを前提にしている。
しかし、現実の権利は、コモンセンス・合意形成によって創造され実行力を持っている。
動物の多くが合意形成を行い、ムレ社会のルールを作れているわけではない。(作れる動物も多々いるのは別記する)
ジョン・オズワルド(John Oswald)は『The Cry of Nature or an Appeal to Mercy and Justice on Behalf of the Persecuted Animals』の中で
人間は生まれつき慈悲と思いやりの心を備えている。
もし自分が食べる動物が死ぬのを見なければならないとしたら、ヴェジタリアンになる人は今よりはるかに増えるだろう。
しかしながら分業が発達したために、近代の人間は生まれつきの思いやりの心を起こさせることなく肉を食べられるようになる一方で、残忍な行いに慣れていった。

この指摘には否定的になる。ト殺業を営む人がベジタリアンばかりならば
「思いやりからベジタリアンになる」と言えるだろうが、ベジタリアンは職種業種を選んでいるわけではない。そして、この「生まれながらの思いやり」というのも非常に疑問がつく。性善説的価値観を前提にした論説であることは言うまでもなく問題視されるだろう。

他にも多くの哲学者が動物の権利を規定しようと試みている。
多くの主張は確かに、説得力を伴うものだが、動物に対する科学的見地が十分にあるわけではないだろう。

動物の権利を否定するような指摘を行っているが、問題はその権利の射程だろう。
盲目な動物愛護団体が、生態系崩壊に繋がるような保護活動に走ってしまったような事例は多い。
人類含めて、地球環境は食物連鎖で成立している。人類は一面で食物連鎖から離れているが、雑食性の動物であっても食物連鎖の影響は必ず受けるのだから、留意する必要性があるだろう。
 いかにバランスよく動物と共存するべきか?という問題で動物の権利を考える必要性があるだろう。
 スポーツハンティングの是非論も問題提起されることがあるが
もし、そのハンティングで得た食物を摂取するならば、それは批判されるべきではないだろう。
動物は「無駄に他の動物を殺さない」という考えで娯楽のための殺傷行為は問題視されても仕方ないだろうが、それが食物連鎖的な意味合いを持つならば、全否定する必要性を感じない。
 結局は、動物の権利とは、盲目的に動物を愛すことではなく、自然界のバランスを含めて、公平に生物を愛する姿勢というべきだろう。
 クジラの保護活動でクジラだけ増えて、生態系が崩壊したり
 バスフッシュングがしたいために湖沼の生態系を破壊したり
結果的に他の種の生態系を崩壊させた動物愛護精神の反省は必要なのである。

 
さて、一方で矛盾している話をするが、動物の絶滅という問題は、本当に危惧するべきである一面だけではなく、自然淘汰の原則では「仕方ない」という表現が妥当な部分も多い。
 現在でも多くの動物が生きているが、地球誕生以来、多くの種類の動物が自然淘汰されてきた。
地学的知識のある人なら知っていることだが、カンブリア大爆発などを契機にして、種は爆発的に増え、現在の生態系に落ち着いてる。
 人類が地球を支配してから、多くの動物が絶滅したと言われるが、繁栄する種の影で絶命する動物が増えるのも当然の話である。
 過去隆盛した恐竜と呼ばれる動物の繁栄の陰で多くの動物が滅亡したはずである。
 その滅亡した動物の総数は今の科学では分からない。
もしかすると、恐竜の繁栄は人類の繁栄以上の種の絶滅の原因になったかもしれないのだ。
 そう考えると科学的検証のない動物愛護活動は感情論の産物というべきだろうか?
 そして、最終的には動物に対する差別愛になるのではないだろうか?
 私は、人類以外の動物は等しい価値だと思っている。そこ低俗、高度さなどの差別化を見いだせない。人類だけで特別扱いしているという批判を覚悟の上で、動物の権利を考えるべきではないだろうか?
スポンサーサイト


この記事に対するコメント

この記事に対するコメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する


この記事に対するトラックバック
トラックバックURL
http://janzika.blog64.fc2.com/tb.php/28-b928b2d5
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)


サイドメニュー ×
メニューA  メニューB

最新記事 ×

プロフィール ×
<管理人・著作>
冥王星
け~ね
<著作>
モダンタイムス
NOW PRINT
ワレサ
ジャーマンシェパード
木村屋ジャムパン
先行者
アシスタントS
ヤバイチルノ
アシスタントSの旦那
エラスムス

最新コメント ×

リンク ×
このブログをリンクに追加する

最新トラックバック ×

カテゴリ ×

youtubeで聞けるお奨めBGM ×



上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。