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光市母子殺害事件に関する江川紹子氏の見解について
【2008/10/03 】   冥王星      トラックバック(0)   コメント(9)
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橋下下弁護士の懲戒請求に関する判決が出た。
結論からいえば、原告勝訴である。橋下弁護士の敗訴である。
今回は、懲戒請求判決とは別に報道倫理について考えるために、二回に分岐した。
なお、BPOの見解記事は、メルマガ記事の焼き直しであるので、関係者各位は留意してほしい。
橋下知事に賠償命令 弁護団懲戒呼びかけ「不当」…広島地裁
橋下徹 大阪府知事 山口県光市の母子殺害事件の差し戻し控訴審を巡り、被告弁護団の4人(広島弁護士会)が、弁護士でもある橋下徹・大阪府知事に対し、テレビ番組で、弁護団への懲戒請求を呼びかけられたことで名誉を傷つけられ、業務に支障が出たとして、1人300万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が2日、広島地裁であった。橋本良成裁判長は1人200万円、計800万円の支払いを命じた。橋下知事は控訴する意向を明らかにした。

 判決で、橋本裁判長は「弁護団が虚偽の事実を創作したと(視聴者に)思わせる(橋下知事の)発言は名誉を棄損した。マスメディアを通じて公衆に懲戒請求をするよう呼びかける行為は、懲戒制度の趣旨に照らして相当性を欠き、不法行為に当たる」として原告側の主張を認めた。 判決によると、橋下知事は知事就任前の昨年5月27日に読売テレビが放送した「たかじんのそこまで言って委員会」に出演。差し戻し審の被告の元少年(27)=死刑判決を受け上告=の弁護団の主張が1、2審から変遷し殺意や強姦(ごうかん)目的を否定したことを批判し、「弁護団を許せないと思うなら一斉に弁護士会に懲戒請求をかけてもらいたい」と視聴者に呼びかけた。
 橋本裁判長は、広島弁護士会に寄せられた計約2400件の懲戒請求は、橋下知事のテレビでの発言が契機になったと認定。「多数の懲戒請求に対応するため、原告は答弁書を作成しなければならないなど相応の事務負担を必要とし、それ以上に精神的損害を被ったと認められる」と言及した。
 橋下知事の話「弁護団、遺族に大変ご迷惑をおかけしました。申し訳ありません。裁判所の判断は重く受け止めます。私の法律解釈、表現の自由に対する考え方が間違っていました。判決が不当だとは一切思っていませんが、3審制ということもあり、高裁の意見をうかがうために控訴したい」

「マスメディアを通じて公衆に懲戒請求をするよう呼びかける行為は、懲戒制度の趣旨に照らして相当性を欠き、不法行為に当たる」
懲戒制度の趣旨とは何だろうか?判決文の裁定を参照したいのだが、判決文がないので困っている。
以前から参考にさせてもらっているサイトを簡単に整理して説明したい。

刑事弁護を考える~光市母子殺害事件をめぐって
江川紹子さんのブログなのだが、比較的面白いと感じられる部分が多い。
「弁護士がワイドショーやバラエティ番組に出演するのは、法律的な説明や理性的な解説を加えて、話が感情だけに流れないようにすることに意味がある」と思っていたが、橋下氏はまったく逆。
 人々の怒りの感情をあおり、番組を盛り上げる役割に徹していた。弁護士というより、まるで大衆受けを狙う人気取りのタレントである。橋下氏を応援する人たちは、「彼は弁護士として、懲戒請求という制度を視聴者に教えてあげただけ」と言うが、実際の彼の発言はとてもそのようには聞こえない。

 江川氏の感想に同感するのだが、「弁護士としての橋下氏ではなく、一市民としての橋下氏の義憤を喚いていただけに過ぎない。」という見方もありではないだろうか?
 江川氏の言説の通り、専門家としての発言を求める局面での、慎重な言説は重要だと思うし、江川氏はゲスト・評論として呼ばれる時の姿勢としては、「そうあってほしい」と思う。
 江川氏は番組を盛り上げるという出演者としてのスタンスではないだろうが、橋下知事は、盛り上げるという個性をテレビとして求められているのかもしれない。
 そこに、法律番組としての弁護士としてのモラルが問われたわけで、今回の事件で橋下知事の弁護士としてのモラルは批判されることになった。
 「被告人がどんな冷酷で狡猾な人間であっても、その利益のために最大限の努力をするのが弁護人の仕事だ。」
 被告人がひどい男だからといって、その職責を果たしている弁護人に懲罰を加えて、弁護士としての活動をできないようにしてしまえとテレビで煽るのは、やりすぎだ。
 ましてや、刑事手続きにおける弁護人の役割をよく知っているはずの弁護士が、先頭に立って視聴者をけしかけているのには、かなり唖然とした。

 弁護士法
第一条  弁護士は、基本的人権を擁護し、社会正義を実現することを使命とする。
2  弁護士は、前項の使命に基き、誠実にその職務を行い、社会秩序の維持及び法律制度の改善に努力しなければならない。

とあるように、被告・被疑者の権利の擁護も弁護士の職務であるのは言うまでもない。
日弁連では以下のように、「悪い人」を弁護する理由を説明している。
弁護士は、刑事事件において、弁護人として被疑者や被告人の弁護活動をします。
 「どうして悪い人の弁護をするの?」
こんな疑問をお持ちの方もいらっしゃるかもしれません。しかし、捜査の対象となったり、刑事裁判を受けることになったり、犯人であるかのような報道がされたりしても、本当にその人が犯罪を行った「悪い人」であるとは限りません。
弁護人の最も重要な役割は、えん罪の防止です。えん罪は、無実の市民の自由を奪い、その家族の生活を破壊する最大の悲劇です。えん罪の多くは、捜査機関が犯人だと決めつけ、発表された情報にもとづいて、多くの人がその人を犯人だと思いこみがちな状況で発生します。だからこそ、多くの人が被告人が犯罪を行ったと思っている状況でも、無罪の可能性を追求する弁護人の役割が必要なのです。
また、行き過ぎた刑罰が科されたり、違法な手続が見逃されたりしないようにするためにも、弁護人は被告人の立場から、意見を述べ、証拠を提出します。
このような弁護人の活動は、まさに人権擁護と社会正義の実現のためのものにほかなりません。
あなたや、あなたの大切な人にいわれのない疑いが向けられたとき、弁護人は、最後の一人になっても、ベストを尽くします。

民意は被害者感情に偏向し、その偏向を誘導するようなメディア報道が多々あったと感じる人も少なからずいます。
 松本サリン事件・痴漢など冤罪の可能性を想定しての弁護活動まで妨害しようとする行為は、決して正当化できようもないことではないでしょうか?
 民意は正しい、という人の見解は、民意を尊重するという政治システムの大前提としたものです。
それに対して、逆らい抗弁し、別の民意を創出する活動は許されるものでしょう。
 江川氏の評価を否定する部分はなく、むしろ、完全同意になるのが悲しいことだが、冥王星も江川氏と同じ感想に至った。
 橋下氏が、懲戒請求を呼びかけたのは、次のような理由からだった。
「弁護団は、1、2審では争わなかった犯行態様について、差し戻し審で新しい主張を始めた。しかし、主張を変えた理由を遺族や社会に説明してない」
「十分な説明をしない弁護団に対し、世間は『『刑事弁護なら何をやってもいいのか』と憤っている。弁護士の信用を失わせ、品位をおとしめており、十分に懲戒事由にあたる」(9月6日付産経新聞より)
 だが、刑事事件の弁護人の仕事は、「遺族や社会に説明」することではない。弁護人の役割は、もっぱら被疑者・被告人の利益を守ることであり、法廷では裁判官に対して説明や立証を行うのが任務だ(まして、現弁護団は国選弁護人ではなく、彼らの活動に国民の税金が使われているわけでもない)。

 橋下知事の言動が「品位ある」言動とは冥王星は解釈できない。
 弁護士の責務として優先順位が、「被告の利益を守ること」、その次が「社会正義を貫くこと」という認識がある。
 多くの被害者感情を優先する民意には、被害者のための社会正義しか見えない視野狭窄にあったように思える。だからこそ、被告の利益など認めないヒステリックな世論が展開された部分も感じる。
 しかし、それは民意であって是認するしかない部分があるにしても、橋下弁護士は違うだろう。
 メディアでの捲し立てる・煽動するような言動は、品位を感じるものではないし、被告人の弁護活動を阻害するという意思が見えてしまう。
 弁護士法では
 第二条  弁護士は、常に、深い教養の保持と高い品性の陶やに努め、法令及び法律事務に精通しなければならない。

 冥王星は橋下知事に高い品性を感じれない。感性的なものでしかないが、江川氏の指摘する通り、テレビに出演する橋下弁護士に、法的な課題は、弁護士橋下としての言説を望むものであって、個人の感情論をダダ漏れにした言動を期待していない。その言動が違法性を孕むものであれば尚更だろう。
 弁護団の言い分を聞いてみると、主張が変わったのは、被告人の荒唐無稽な弁明のためだけではないらしい。
 例えば、被害者2人の遺体を解剖した法医鑑定書と判決で認定された犯行態様には食い違いがある、という。その食い違いが、「殺人ではなく傷害致死」との主張を裏付けるに足るものかどうかはともかく、このままでは死刑判決が下される被告人の刑を少しでも軽減するために、可能な主張はすべて展開するのは、弁護人としては当然の責務と言えよう。
 それに対しては、検察官が反論する。
 そして、最後に裁判官が判断する。弁護側の主張によほどの説得力がなければ、裁判所はそれを退けることになるだろう。
 そうやって、検察と弁護側が違う角度から光を当てながら、真相に迫っていくのが刑事裁判だ。
 弁護人が「世間」が納得しない主張はするなということになれば、耳目を集めた凶悪事件では、実質的な弁護活動はできなくなる。

 冥王星も同感である。被害者感情を優先する民意は、明らかに視野狭窄でしかない。
 視野狭窄は仕方ないにしても、弁護活動側が被告側の立場になって抗弁する権利を否定してはならないのも事実だろう。
 裁判とは、当事者がお互いの主張をぶつけ、法的正義を実現する空間である。
そこで、民意の感情で「認められない」という理由で、抗弁権を奪うような蛮行を行っていいわけでもないだろう。
 橋下氏らテレビでの発言の機会が多い弁護士は、本来は「世間」に対して「刑事弁護人の役割はこういうものです」と説明をし、冷静な対応を求める立場ではないか。
なのに、ただでさえヒートアップした「世間」に対して、燃料を送り込んで団扇でバタバタあおいで炎を大きくしている感じさえする。

 江川氏の主張は理解する。では、世間が本当に橋下弁護士にそのような職業人としての説明を求めているのか?というのは正直疑う余地がある。
 冥王星は江川氏よりもテレビを見ない人間だろうが、少なくとも橋下弁護士はタレントとしての活躍が主体であるように感じる。
 面白可笑しく法律問題を取り上げ弁護士の見解の相違点を逆に話題にして、弁護士同志の喧嘩を笑いにしている。
 出演弁護士のスタンスは理解しようもないが、法解釈の射程は判例などの司法の事例をもって暗示するべきものであり、彼ら弁護士の見解が司法として確実に反映されるわけではない。
 冥王星は、彼らには、「この事例だと過去に類似したこういう判例があります」という司法事例を大前提にしたプレゼンを求めるべきだと思っている。
 そもそも、弁護士が安易に法解釈をダラダラ述べることに一般的に効果があるとは思っていない冥王星からすれば、弁護士活動をもっと頑張ってほしいと思う。
 世論を喚起して法的正義を実現するのはある意味では、非弁護士の連携に近い行為だろう。
 安田弁護士の欠席の最大の理由は、安田弁護士は弁護人を引き受けて2週間で準備ができていない、というものだった。
 高裁判決から最高裁が指摘した弁論期日までちょうど4年。最高裁の裁判官が、弁護側・検察側の主張を聞くための準備をするのに4年もかかったのに、弁論を行う弁護人には1ヶ月もやらないというのは、どうかと思う。

 刑事事件は膨大な資料を必要とする。
司法自身が4年も準備期間を必要としたことに対して、着任して間もない弁護士が1か月は確かに、時間不足という弁明も仕方ないだろう。
 おそらく最高裁は、被告人が裁判引き延ばしのために弁護人を交代させたのだと考えたのだろうが、弁護人が弁論の延期申請を出しても、事情をまったく聞かずに却下するというのは、あまりに態度が頑なだったのではないか。

 指摘に関しては、江川氏と同じ感想である。せめて最高裁は、事情を聴くだけ聴く必要があったと思う。
最高裁が1、2か月の期日延期をし、それをきちんと伝えていれば、遺族もあんな風に傷つくことはなかったのに……と思う。「リハーサル」を持ち出した弁護側だけでなく、裁判所も遺族に対してあまりに無配慮だったのではないか。その点を指摘しない橋下弁護士は、あまりにアンフェアだ

 確かに言えることだろう。被害者遺族も長年の係争に耐えてきた経緯があり、欠席という結論に至ることは裁判所も想定できただろう。公平性を配慮すれば、多少の時間を弁護側与えることこそ、「社会正義の実現」だと思える。
 江川氏の橋下知事の評価の評価はかなり低いが、橋下氏は弁護士であるなら、係争に追われる経験があったはずだろうが、他人には配慮できない人なのだろうか?と思う。
橋下氏は、懲戒請求をする者の負担については、何も述べていない。
 人に懲罰を与えて欲しいと求めるのであり、場合によっては弁護士の職を奪おうという請求なのだから、当然厳格な手続きがなされる。請求した側も、弁護士会に書類の提出や口頭での事情説明を求められることがある。
 請求の内容によっては、懲戒請求をされた弁護士の側から訴えられる可能性もある。実際、懲戒請求をした側が敗訴し、50万円の慰謝料を支払うよう求める判決が出ているケースもある。橋下弁護士は、そういう負担やリスクを説明せず、ただ「誰でも簡単に」できると、気楽なノリでしゃべっている。
 そのくせ、自分は懲戒請求をしてない。「時間と労力を費やすのを避けた」そうだ。橋下弁護士の話に共感して懲戒請求を行った人たちの「時間と労力」はどうでもいいのだろうか。煽るだけ煽って、自分は面倒だからと何もしないのでは、無責任のそしりは免れない。

 彼自身が煩雑な懲戒請求を出していないことは非常に問題があるだろう。扇動するだけ扇動しておいて、自分は何もしない。そんな先導者は扇動と言われても仕方ないだろうし、無責任と言われても仕方ない。
 弁護士法に懲戒請求に関する規定が記載されているが、非常に難解なものである。それを法的無知な市民に背負わせた橋下氏の言動は軽薄という誹りに値するだろう。
 逆に、懲戒請求者に不利益を誘導するような結果論さえ残っている。
 もっとも、あの程度の扇動で「義憤」を催すような”偏向的な社会正義”しか考えられないバランスの欠いた人間が多いことの方が、冥王星としては不思議である。
 メディアの被害者報道に感情論的な支配を受けて軽挙妄動してしまう浅慮な感情論的な日本人には逆にいい薬だったと思える。
 もっとも、未だに、安田弁護士の弁護活動を、自身の偏向的な社会正義から批判するだけの日本人は多い。
 正義の多面性・多様性を想定できない日本人が現存していることに、日本の民主主義の稚拙さを感じる。
 「弁護人の入れ知恵でこうなった」と決めつけるのであれば、それなりの根拠を示す必要がある。

根拠はない話だが、「入れ知恵がない」という根拠もないのが悲しい現実です。
しかし、この見解が、被害者感情論を優先するという不公平な部分が至った見解であろうという可能性は否定できない。
 被害者感情で支配された民意は、被告には残酷であることが正義なのであろう。

さて、江川氏の記事については、よくよく否定する場所が見当たらない。
 このブログよりも、江川氏のブログの方が圧倒的に優れているので、是非に参照してほしい。
しかし、この記事の最大の価値は、江川氏の文末のメディアと視聴者への警鐘だろう。
割愛せずに全文を引用する。
もう一つ、メディアのあり方も考える必要がある。
 橋下弁護士の問題発言があった読売テレビ「たかじん そこまで言って委員会」は、生放送ではない。橋下氏も、「ここはカットされるかもしれないけれど」と前置きして話をしているところをみると、実際の放送時間より相当長い時間をかけて収録しているはずだ(出演者の顔ぶれを見ても、収録時間は相当長いだろうなと想像できる)。
 橋下弁護士の”煽動”が公共の電波に乗って放送されたのは、この発言を選んで放送したテレビ局の判断がはたらいている。
 番組では、橋下弁護士以外の出演者もすべて弁護団を叩いており、違う角度からコメントをする者は1人もいなかった。弁護団の言い分がVTRで紹介されることもなかった。一方的な「行け行けドンドン」の雰囲気で、果たして現在進行形で審理が行われている事件ものを扱うやり方として、適切だったと言えるだろうか。
 この事件では、懲戒請求だけでなく、安田弁護士を名指しで脅迫する実弾入りの文書が新聞社は弁護士会に届いた。そのほか、法律事務所にも脅迫電話がひっきりなしにかかってきた、という。
 気に入らない言動に対して暴力で攻撃する事件が相次いでいる今の風潮を考えると、人々の感情をとらえるような話題に関しては特に、「これを放送したらどういう反応がおきるか」という想像力や物事を客観的に眺めるようなバランス感覚が求められる。
 特に、とかく刺激の強い発言を求めがちになるヴァラエティ番組で、刑事事件を話題にする時には、どこまでの表現が許されるのかなど、自主的な枠組み作りをする必要があるのではないか。
 特に、刑事事件に関しては、再来年には裁判員制度が導入され、一般国民が被告人を裁くようになることを考えなければならない。
 「あいつら許せん」という感情で裁判を行うわけにはいかないわけで、そのためにも、裁判員が予断を持ったり、「世間」が裁判員に危害を加えたりすることのないよう、冷静な判断を行える環境作りがメディアにも求められる。
 自主的な対応ができず、今のように感情を煽るような番組が垂れ流されている状況が続けば、様々な規制がかけられる事態も考えられる。そうなれば、事実を詳しく伝えたり、批判をしたりする報道の自由も危うくなってしまう。
 弁護団が裁判に訴えたのは橋下弁護士1人だが、NHKと民放で作っているBPO(放送倫理・番組向上機構)の「放送と人権等権利に関する委員会」や「放送倫理検証委員会」などで、今回の番組について、自発的な検証がなされるべきだろう。

 放送倫理としての中立性を損なっていることは言うまでもないだろう。
放送法
第1条 この法律は、左に掲げる原則に従つて、放送を公共の福祉に適合するように規律し、その健全な発達を図ることを目的とする。
1.放送が国民に最大限に普及されて、その効用をもたらすことを保障すること。
2.放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによつて、放送による表現の自由を確保すること。

 番組の内容が胸を張って、第一条を厳守していると言えるだろうか?

さて、今回は江川氏のブログを拾って冥王星の見解を述べたが、できれば、江川氏のブログを通読してほしい。

最後に橋下氏が弁護士であるために、冥王星の老婆心ながら自覚してほしい弁護士法の条文・弁護士の訓示を
第二条  弁護士は、常に、深い教養の保持と高い品性の陶やに努め、法令及び法律事務に精通しなければならない。

世論に負けず、被告人の側に立つこと

世論に負けず、被告人の側に立つこと
弁護士の使命というものです。弁護士は、検察官ではないのです。裁判官でもありません。
弁護士は、当該被告人の刑事手続きに対し、常に被告人の立場から、検証し、反駁し、
批判するものなのです。世論を敵にまわすことは、辛いものがあります。でもそれが必要
なときもあるのです。
人の首が出てきたら、どう思うか、それは弁護士とて同じです。
幼児殺害未遂など、とうてい許されるわけがありません。
しかし、客観的な証拠によって、一つ一つ検証されることがどうしても必要なことなのです。
犯罪の成否も、犯罪の内容も、証拠によって検証されなければ、有罪判決は許されない
のです。こうした裁判において、常識という名の「予断」と「偏見」に対し、対峙する役目
が弁護士なのです。

弁護士のひとりである私は、毎日のように、にがい経験を積み重ねながら、自己の非力と
戦いながら、自問自答しながら、厳しい現実に対峙しています。裁判において、人の間違
いの重大性を問いつつ、おのれの判断に対し、間違いや不十分である事への恐怖感を持
ち模索しています。
この様な経験によって得られた認識、すなわち人間の判断の脆弱さや不完全性、判断の
相対性に対する認識や、感情先行型の世論の行き過ぎや、人間の感情の不安定さにたい
する認識は、社会が弁護士に教えた英知の一つだと思います
今回の事件、及び記者会見は、弁護士の使命を考え、我々弁護士が襟を正すという意味
で、重要な意味を持っています

弁護士とは、被告人の立場に立って、刑事手続きを検証し、
批判し、法的手続きが正しく行われるように務める役割があります。刑事手続きにおいて、
弁護士に与えられた最も重要な職責でしょう。その職責を全うすることが、今強く求められ
ていることを痛感し、思いを新たにしています。

BPOの光市裁判報道に関する意見の記事として、別記事を設けたので追加的に参照してください
BPOリリース「光市母子殺害事件の差戻控訴審に関する放送についての意見」
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この記事に対するコメント
【2008/10/04 00:26】URL | #-[ 編集]
法律に全く無知なズブの素人の素朴な疑問です。

弁護人の役目とは
被告人がどんな冷酷で狡猾な人間であっても、その利益のために最大限の努力をするのが弁護人の仕事
世論に負けず、被告の側に立つこと

ということですが、そもそもこうした概念が最初に構築された時代と今の時代とでは、背景に大きな差があり過ぎるのではないのでしょうか?
何か、昨今の凶悪事件を見ていると、そうした「弁護士の役割」そのものが、今の時代の犯罪には、もはやそぐわなくなってしまっているのではないか?と感じられてなりません。

世論は被害者感情に偏りがち、という言葉もありますが、そもそも法律自体が加害者の人権に重きを置きすぎであるからではないでしょうか。
決して感情に走っているつもりはなく、素朴に疑問に感じるのです。
そこまでして加害者の人権を守ることで、法律は社会をどうしようとしているのか?と。
いくら弁護士の役割だからとはいえ、まじめに正直に暮らしている大多数の人の「正義感」を損なうような弁護活動を認めてしまうのでは、逆にそうした法律そのものが「社会倫理や社会秩序」を乱す原因となってしまうのではないか?と危惧さえ感じてしまうのです。


【2008/10/04 11:17】URL | 冥王星 #-[ 編集]
 弁護士の知り合いを動員して回答するべきでしょうが、冥王星として回答するならば
歴史的に弁護士という役割は古くからあります。

私が知り限りでは、「弁士」。
いわゆる討論会の弁士が起源と言えるでしょうが、
法律に関する業務代行という意味では、もっとも体系的に整理されたローマ法の時代から弁護士と想定される職業人が見られます。
政府に申請などを出す代書屋家業からの発展の可能性もありますし、自治体同士の闘争で名士同士が自己弁護するなどの事例もあり、弁護士に想定される職業は古くからあります。

で質問の

>「被告人がどんな冷酷で狡猾な人間であっても、その利益のために最大限の努力をするのが弁護人の仕事」
「世論に負けず、被告の側に立つこと」
ということですが、そもそもこうした概念が最初に構築された時代と今の時代とでは、背景に大きな差があり過ぎるのではないのでしょうか?

という質問に関して
概念的には,古い時代にも法律に無知な人民が多くて、その人民の代理で法廷で弁明・抗弁する人間が弁士・弁護士の派生だと考えられます。
 少し長くなりますが、私の読んだ本で知る限りは、中世にはすでに職業弁護士に似た職種は確立しているようです。
 裁判というとイメージとして刑事裁判が主体になると思いますが、古代・中世とも民事裁判は存在します。
 お互いに権利主張する法廷の場所では、陪審員制度なども含めて、弁の立つ人が必要になったようです。
 同時に、実定法や慣習法などの複雑な法体系を熟知している代理人が法廷で、依頼人の要請に基づいて彼らの権利を保護するという実態が発生したのでしょう。
つまり、依頼人と弁護士の暗黙の契約が弁護士としての倫理規定として現代まで踏襲されているという解釈も可能でしょう。
仮に、弁護士が世論に迎合するような弁護士で依頼人の利益を損じるようなことがあれば、職業人として職業モラルが問われますし、同業者としての信用問題にもなります。
 武器製造する人間がどんなに世論の攻撃を受けようと、それを必要とする背景がある以上は、職業として尊重されることと大差ないものです。
 そもそも世論というのは、むしろ暴走するものであることは、歴史が証明していることですから・・・・

 で、質問のもうひとつの「概念形成時代と現代のギャップ」ですが

単純に、依頼人の立場なって考えれば、「自分の利益を最大限に保護する」弁護士ではない限りは、安心できませんよね?
 価値観・概念の変化はあれど、依頼人と弁護士の「契約前提」が変わることが無いから、時代的変化はないと言えるでしょう。
職業とは民意の要請ではなく需要によって発生するものでしかないのも武器商人の事例でも分かることでしょう。

同時に、弁護士とその活動は「世界人権宣言」に射程に納まりうる存在で、同法には
第10条
すべて人は、自己の権利及び義務並びに自己に対する刑事責任が決定されるに当って、独立の公平な裁判所による公正な公開の審理を受けることについて完全に平等の権利を有する。

第11条
1 犯罪の訴追を受けた者は、すべて、自己の弁護に必要なすべての保障を与えられた公開の裁判において法律に従って有罪の立証があるまでは、無罪と推定される権利を有する。
同法5~9条にも関わるのでURLだけ
http://secure.amnesty.or.jp/udhr.html
とあるように、被告人・被疑者の人権に留意することは明言されているわけです。
つまり、現代でも人権として被告・被疑者の人権の尊重は明言されているのです。これは憲法でも同じことで日本国憲法11~13,24、34,37を想定することができます。特に37条では刑事被告人の権利をして
第三十七条【刑事被告人の諸権利】
1  すべて刑事事件においては、被告人は、公平な裁判所の迅速な公開裁判を受ける権利を有する。
2  刑事被告人は、すべての証人に対して審問する機会を充分に与へられ、又、公費で自己のために強制的手続により証人を求める権利を有する。
3  刑事被告人は、いかなる場合にも、資格を有する弁護人を依頼することができる。被告人が自らこれを依頼することができないときは、国でこれを附する。

とあるように、憲法規定までされています。

>何か、昨今の凶悪事件を見ていると、そうした「弁護士の役割」そのものが、今の時代の犯罪には、もはやそぐわなくなってしまっているのではないか?と感じられてなりません。

弁護士の役割は弁護士法に規定されている通りです。
あなたの感じる社会正義以外にも被告・被疑者側の社会正義もあるわけで、それを認識・知覚できないと「犯罪にそぐわない」という感覚があるのかもしれません。
ただし、誤解してほしくないのですが、弁護士は犯罪行為そのものを救済するのではなく、被告・被疑者の権利を保護するために存在するに過ぎません。
我々が想定してない事情、検察・判事が知るよしもない酌量の領分を無視して被告・被疑者を審判していいわけでもありません。
「法の下の平等」を実現するためには、被告・被疑者側の権利の実現は不可欠なことも当然のことでしょう。
それを認められないというならば、「法の下の平等」という法治主義の原則論を否定する必要性がある、ということも考えるべきでしょう。

>世論は被害者感情に偏りがち、という言葉もありますが、そもそも法律自体が加害者の人権に重きを置きすぎであるからではないでしょうか。
決して感情に走っているつもりはなく、素朴に疑問に感じるのです。

素朴に疑問になることでも「感情」の産物だという認識は必要です。
 仮に、加害者人権に重きをおいているという感覚をお持ちならば、法改正を求める必要性があるのではないでしょうか?
法解釈という領分は法曹界の領分ですから、そのような感覚をお持ちになることは尊重しますが、それなら「どうするべきか?」という問題に至るべきだと思います。
 人権概念は個体差があります。そして、現存している人権概念は概ね法的正当化の過程を経ているものですから、それを覆すためには、やはり法改正が必要でしょう。
感覚的に理解できる部分もありますが、「どれだけ被告・被疑者に関して中立的・公平的でありえることができるか?」という問題にあなたは自信をもって「中立・公平」と言えるでしょうか?
 その中立・公正性さえも価値観である個体差がある問題だからこそ、議論の対象であり複雑怪奇な問題だと思います。
 
>いくら弁護士の役割だからとはいえ、まじめに正直に暮らしている大多数の人の「正義感」を損なうような弁護活動を認めてしまうのでは、逆にそうした法律そのものが「社会倫理や社会秩序」を乱す原因となってしまうのではないか?と危惧さえ感じてしまうのです。

前にも述べましたが、あなたや大衆の「正義感」が総てではありません。
そもそも、あなたや大多数の「正義感」が適うのが正しいという保障もないのです。それともあなたや大多数が絶対的に正しいという立証ができますか?
法治主義国家としての暫定的正義は「法律」にあります。 
 その上で、法律は多面的・多様な正義=正当性・妥当性を用意し、それを行使することは認められる権利という前提で社会も成立しています。

 自分が排斥したい相手の権利を廃して、自分の権利だけを主張するのは、
「公平性」「中立性」に欠けるだけではなく、「法の下の平等」という社会前提さえ崩壊させてしまいます。
 つまり、あなたや大衆の「正義」つきつめれば<正義=権利>だけでは社会は維持できないという問題に行き当たります。

 そして、重要な回答になりますが、「社会倫理・社会秩序」はあなたや大多数の人の「正義感」だけで出来上がっているのでしょうか?
同時に、あなたや大多数が被告・被疑者になったとして、弁護士に「自分の権利の保護を要請しない」というのでしょうか?
 仮に貴方が、違法行為を行ったとしましょう。(あなたも私も罰せられないにしても違法行為はやっていることがしばしばあるのは承知してくださいね)
 その時に、咎められて、自分を救済するための権利を行使しないのでしょうか?
私は、違法行為を無自覚にしてしまったケースを含めて自分の権利を主張する権利を放棄しようとは思いません。
 むしろ、あなたが言っていることは、
「自分は弁護・抗弁せずに民意を従う」ということですが、それでいいならば、そのような法律ができる時代を待つのがよろしいかと思います。
おおよそ、基本的人権として現状の加害者人権の削減は憲法改正・弁護士法改正・訴訟法改正とかなり煩雑な作業が必要になるとは思われます。
 法解釈の変化で加害者人権を削減するのも現状の世界の人権認識では不可能に近いと思いますが・・・・
 
長くなりましたが、弁護士というのは我々の民意よりもよほど優れた道徳・モラルを問われる職業です。
一義的な義憤や正義感ではなく、多様な価値観という自由主義社会の原則論を厳守する彼らは、自由が故に自我を制約するしかない特殊な職業でしょう。
そこらを配慮できるようになれば分かると思います。
 単なる感情の産物でしかない民意がどれだけ自分の正義で他人を傷つけるのか?
それは、松本サリン事件の被害者など冤罪事件の数々を見れば周知できるでしょう。
 冥王星は、イラクの人質事件の被害者家族と面識を持つ機会があったのでこういう話は逆に、民意の暴走という実態を知る環境であったことは良かったと思います。
 まぁ、あなたの認識は別にしても、あなたが手に入れた情報がどれだけ公平性を欠いていたのか?という嫌疑をされることを希望します。
 そのために、BPOの記事とメディア各社の見解のURLを出しました。
 メディア自身が歪んだ情報提供をしていたことを認めている一方で、あなたは歪まないという自信がありますか?
 あなたは独自に公平な視点で情報を得る立場だったのでしょうか?
 自問されることを希望します。
 


【2008/10/04 18:57】URL | アシスタントSの旦那 #-[ 編集]
冥王星くんの要請に従いコメントに返信します。

> 弁護人の役目とは 「被告人がどんな冷酷で狡猾な人間であっても、その利益のために最大限の努力をするのが弁護人の仕事」
「世論に負けず、被告の側に立つこと」
ということですが、そもそもこうした概念が最初に構築された時代と今の時代とでは、背景に大きな差があり過ぎるのではないのでしょうか?

この質問に対しての回答は冥王星くんが説明している通り、
弁護士と依頼人の契約関係は、いつの時代も変わらないことから差はありません。
ご質問の方へ逆質問することになりますが
仮に貴方が冤罪で不当に罪に陥れられたとして、
”世論や民意が全て有罪と断じ、貴方の冤罪の証拠も情状酌量の部分もまったく弁護士が弁護答弁してくれなくても、いいのでしょうか?”
あなたは自分がどんなに不幸であろうとも大多数いの社会正義を優先できるというならば聖人君主だと思いますが、多くの人間はそこまでの覚悟はないと思います。

>何か、昨今の凶悪事件を見ていると、

>そうした「弁護士の役割」そのものが、今の時代の犯罪には、もはやそぐわなくなってしまっているのではないか?と感じられてなりません。

あなたが幾つの方でしょうか?
弁護士として20年程度になりますが、昔から凶悪事件は数多くありますし、今以上に凶暴性・無差別さのある刑事事件を見たことがあります。
単純に、凶悪だというイメージで事件を片付けている可能性はないでしょうか?
これは、このブログ主の冥王星君と同意に至っている部分ですが、
例えば、少年犯罪の増加傾向・凶悪化という明確化な統計的根拠は全くありません。これは少子化の割合からして判断しても言えることです。
貴方だけではありませんが、マスコミやメディアの刺激的な文章・主観論に流されて「凶悪」になってきているという実感で論じているのではないでしょうか?
自分は弁護士という仕事を長年やっていますが、凶悪化したという実感はありませんし、そういう実感を証明できた弁護士も学者も知りません。

>そうした「弁護士の役割」そのものが、今の時代の犯罪には、もはやそぐわなくなってしまっているのではないか?と感じられてなりません。

「そぐわない」と感じるのは、あなたが感情論で人を裁こうという気持ちがあるからではないでしょうか?
つまり、情動で人を罰するという法治国家として許されるべきではない感情を正当化したい、という心の動きだと捉える事ができます。
 それを自分は否定しませんが、罪は法律が決めるものであって、あなたや大多数が判断するものではなかったはずです。
そして、その判断を下す人間としてあなたは相応しいと思いますでしょうか?
自分は弁護士という職業にプライドがありますが、自分の法解釈・証拠判断に関して常に自問自答する日々を送っています。
 メディアの公平性の欠いた一面性と偏向性のある情報だけで判断するような民意よりも私は、事件の内容を慎重に綿密に分析できる法廷という場所での紳士な議論が民主主義の法廷のありべき姿だと思います。
 よく考えられ議論された意思ならば、それを尊重するべきでしょうが、自分からすれば、市中の民意は法的無知もありますが、法律という合意契約と社会の現実の相違を考慮できないヘボ市民だと思っています。
 情動・感情で物事を判断するなら、物心さえあれば誰でもできます。
責任を負う有権者・市民とは感情にしても責任を負うものであり、その感情・情動を可能なだけ廃する義務があると思いますが、
貴方はそういう考えはないのでしょうか?

>世論は被害者感情に偏りがち、という言葉もありますが、そもそも法律自体が加害者の人権に重きを置きすぎであるからではないでしょうか。

バランスの問題だと思います。
あなたが「加害者」という言葉を使っている時点で、失望を禁じえませんが、あくまでも被告・被疑者に過ぎません。
 現実問題として、被疑者という段階で実名が公開されることがすでに違法性がある現代社会でどれだけ被告・被疑者の冤罪からの救済が難しくなっているのか・・・・・ご理解いただけないとは思いますが、指摘しておきます。
 バランスの問題で総括してしまっては申し訳ないので、
簡単にいえば、
「被告・被疑者の権利も原告の権利も偏りなく法的に可能なだけ全面的に達成するべきです。」というのが妥当性のある回答です。
被疑者・被害者の両面とも権利を保護するのが法廷であり、法曹界の指名ですので、片寄りは許されません。
そして、片寄があるという認識に関しては、これから議論されることでしょう。その結論に納得できるものとは限らないことは覚悟してください。

>決して感情に走っているつもりはなく、素朴に疑問に感じるのです。

冥王星君の指摘する通りで、「感情に走っている」 に過ぎません。
仮に感情ではないなら、”どうしてそのような見解になったのか?”という根拠を説明するべきではないでしょうか?
この文章が感情的ではないと言う指摘は、おおよそ納得しようがありません。

>そこまでして加害者の人権を守ることで、法律は社会をどうしようとしているのか?と。

法律は社会正義の実現を公平に平等に行うことを目的化しているだけです。
あなたが理解・納得できなくても、加害者人権は明確化している以上は、それを権利として主張するのは当然であり、それを制止する権利はあなたにも弁護士にもありません。

>いくら弁護士の役割だからとはいえ、まじめに正直に暮らしている大多数の人の「正義感」を損なうような弁護活動を認めてしまうのでは、逆にそうした法律そのものが「社会倫理や社会秩序」を乱す原因となってしまうのではないか?と危惧さえ感じてしまうのです。

冥王星さんが説明している通りとしか言いようがありません。

『まじめに正直に暮らしている大多数の人の「正義感」を損なう』というのはエゴでしかありません。
それを認めないという社会規定が法律で規定された以上は、正義感ではなく、独善でありエゴというものです。
「正義」という仮面を被ったエゴというべきでしょう。
貴方の言う正義は
「被告・被疑者を弁論する弁護士の正義も損なう」ことを当然としますが、それを認める法律などありません。
そして、それを許す世論があれども、それを許さない法律があるということになります。
もし、自分の正義を貫きたいならば「法律」という社会のルールを変更するしかないでしょう。
 法律では無理ならば暴力放棄なりの方法論もあります。

>法律そのものが「社会倫理や社会秩序」を乱す原因となってしまうのではないか?

正しい妥当性のある「社会倫理や社会秩序」は民意の情動や情念でしょうか?
貴方が指摘していることは、そういうことです。
それならば、法律は必要なく判事は法的解釈で問題解決することなく、感情・情動で裁くことになります。
ヘタをすれば、好きなタレントさんだから無罪というようなことも起こることは、アメリカ民事事件で有名なOJ・シンプソンの事例で類推できることでしょう。
それをご希望なら、司法制度を改革するしかないでしょう。
そして、同時に法律が無意味である状態にしないと、あなたの希望は実現できない夢物語と言えるでしょう。
 そして、冥王星君がもっとも悪辣に指摘している通りに
「貴方の正義感」は正しいと胸を張れますか?
という問題に少し時間を割いて考えることをお薦めします。

裁判員制度が施行されるという現況において、未だにこのようなコメントがあることに一抹の不安を覚えると同時に、民意と情動の暴走というものを再検証する教育の必要性を感じる記事ではありました。
冥王星君御苦労さま


【2008/10/05 01:40】URL | #-[ 編集]
早々の丁寧なご返答、ありがとうございます。
日ごろ抱いていた疑問にわかりやすく答えていただき、非常に勉強になりました。
勝手ながら、アシスタントSの旦那さんへ、感じることがあり先に返信させていただきます。

>単純に、凶悪だというイメージで事件を片付けている可能性はないでしょうか?

いえ、昔より最近は凶悪だなどと買いたつもりはありません。
素人がこういう言葉を使うのは恥ずかしいですが、昔というか、ほんの数十年前までは、それこそ、今よりも基本的人権というものが軽んじられていて、人間が人間として扱われないことも珍しくはありませんでしたよね。
そうした中で罪を犯してしまった人のために、弁護士というものが生み出され、そうした法律なども定められたのではないかと思ったということです。
今も基本的人権というものが必ずしも守られているというわけではないでしょうけれども、昔とは比べようもなく恵まれた状態だと思うのです。
こういうことを書いたら、また「主観」「感情」と言う言葉で一斉攻撃を受けてしまいそうですが・・・

とにかく、私が「背景が違うのでは」と感じるのは、「人権が守られない中で行われる犯罪」と「十分に人権が守られている中で起こされる犯罪」ということです。

>自分がどんなに不幸であろうとも大多数いの社会正義を優先できるというならば

そういう言葉を用いたつもりはないのですが、そういう風に言葉を足して解釈をされ、それを前提とした返答をいただくのは、大変残念ですね。
不幸な状況の中で罪を犯したときこそ、弁護士の出番であると私も思います。

文章に対する返答でなく申し訳ないのですが、あなた自身、他人の言葉を自分の感情に基づいて、実際以上に受け取りがちであるように思います。
そういうあなたが、他人に向かって「感情に走っている」と繰り返されています。
弁護士は、もちろん一般人と違って法律に詳しいのでしょうが、やはり「人は人」で、感情で行動するし、主観から逃れられないのは否定できないのではないでしょうか。
「貴方の正義感は正しいか」
ということは、弁護士の方自身にも、良心に従って正直に問いかけて欲しいのです。
OJ・シンプソンの事例を例えにあげられましたが、あれは好きなタレントだからと言うより、人種差別などを上手く取り入れた弁護士ドリームチームの作戦勝ちだったように素人ながら記憶しております。(この認識が間違っていたらごめんなさいですが・・・)
この場合は、弁護士の作戦にはまって「無罪」と判断した民意の方が愚かなのでしょうか?
しかし、そんな風に自由自在に民意を操った弁護士のモラルの方はどうなのでしょうか?
「彼は無罪だと確信している」と言われればそれまでですが・・・
例えばこうした証明不可能な部分は、法律ではどうしようもないことだと思うのです。
もちろん、検事側も同様な方法で民意を操ろうとしたのでしょう。
双方とも、どこまで人として彼らはそれを「正しい」と思ってやっているのでしょうか?


【2008/10/05 10:53】URL | 冥王星 #-[ 編集]
>私が「背景が違うのでは」と感じるのは、「人権が守られない中で行われる犯罪」と「十分に人権が守られている中で起こされる犯罪」ということです。

冥王星として言えることは、
まず、「人権が守られている犯罪」というのは存在しえないと想定されます。
犯行対象が個人ではなく国家などであっても、そこには人権に関わる領分が含まれる余地があるでしょう。

人権概念の個体差は言うまでもないのですが、各人が相手の「権利を想定して行動する」という理性的な立場で考える巡らすと、「何もしないこと」「関わらない」ことがBESTになります。
そういう相互不干渉社会が現代社会の現実ということになるでしょうか?

 権利概念をお互いに確認作業する人間関係が健全と解される社会と言えるでしょう。
 古い時代はお互いに相互干渉する社会でしたが、お互いにその合意があって社会が運営されたわけですから、過去のような相互干渉社会を実現するならば、お互いにリスクを覚悟で対話する必要性があるでしょう。
そして、その対話が民主主義と合意形成による社会秩序・社会形成の大前提ではないでしょうか?

>あなた自身、他人の言葉を自分の感情に基づいて、実際以上に受け取りがちであるように思います。
そういうあなたが、他人に向かって「感情に走っている」と繰り返されています。

私には判断がつかないのですが、どういう感情が旦那にあったのか?というプレゼンは重要ではないでしょうか?
貴方が感じるということを否定する手段はありませんが、感じた内容を精査できるように言説するのも、ある程度は必要な措置だと思いますが。

>「貴方の正義感は正しいか」
ということは、弁護士の方自身にも、良心に従って正直に問いかけて欲しいのです。

おそらくですが、弁護士という職務上は「正義感」など持ち出すことはまずありえないでしょう。
冥王星も旦那を知っている個人として、彼が「正義」という言葉を持ち出してきた事例を知りません。これは冥王星自身も「正義」という言葉の疑念から発する言葉ではありません。
 そもそも、旦那は「正義」なんてものを持ち出すことを恥じていると思います。
そして、「正義」ではなく法的妥当性ということだけで職業人として生きていると冥王星は彼の哲学性を感じます。
彼は弁護士の良心を正しい、とも言説することはありませんし、司法判断が全てというスタンスですから、誤解なきように・・・・

>OJ・シンプソンの事例を例えにあげられましたが、あれは好きなタレントだからと言うより、人種差別などを上手く取り入れた弁護士ドリームチームの作戦勝ちだったように素人ながら記憶しております。(この認識が間違っていたらごめんなさいですが・・・)

論点として、タレント性という問題ではないかもしれませんが、あなたが正当化しようとするだろう民意のイメージ論や論理性のない不公平な視点という悪例ということでしょう。

>弁護士の作戦にはまって「無罪」と判断した民意の方が愚かなのでしょうか?

愚かというよりも、刑事事件との整合性を付けられない陪審員の姿勢が問われるということでしょう。
愚かであるというよりも、論理性がない、という批判は付きまといますし、公平性の担保を逸したという判断が民意でも圧倒的であることは民意が「愚か」だと認識した話です。

>そんな風に自由自在に民意を操った弁護士のモラルの方はどうなのでしょうか?

民意を操ることが弁護士とは不当なのでしょうか?
問題は操った民意ではなく、操った方法論とその過程であり、結果論は弁護士ではなく「陪審員」の責任があるでしょう。
そもそも、陪審員制度という制度を利用した被告・被疑者の利益確保ということでは、弁護士を批判することはできません。

> 双方とも、どこまで人として彼らはそれを「正しい」と思ってやっているのでしょうか?

私の知るよしもない話ですが、
それは貴方にも問われることですし、私にも問われることでしょう。
その葛藤と葛藤過程が対話です。
「正しい」と信じることをどうのように(法的)理論武装してプレゼンするか?
それが弁護士の真価です。
しかし、陪審員制度・参審制度では、理論武装よりも、情動に訴えることの方が戦略的には有利であることも事実ですし、そのシステムを民意が認めたからこそ、否定できないわけです。

冥王星は、司法が「法的正義」・「合意形成される正義」とのどちらを優先するべきなのか?
という民主主義の問題についてまだ解答を得ていません。
よくよく多くのメディアで民主主義という言葉が使われますが、その「民主主義」を維持・管理しているのは、「法治主義」であります。
民主主義がなくても、「法治主義」で組織は運営可能です。
つまり、冥王星にとっては、
社会の実態は
「法治主義」>「民主主義」であると思っています。
「悪法であろうと法であり、悪法を改正するのが優先であり、悪法だから法を守らないでもいい」という考えを尊重しかねるのです。
ここらは、旦那と喧嘩したことがあるので、旦那が気にが向いたらコメントしてくれるでしょうが、是非
民主主義と法治主義のバランス関係を自分で考えてみてほしいと思います。
その上で、裁判員制度・違憲立法審査・統治行為論などの現代司法の課題を考えてほしいと思います。
 もっとも、法治主義・民主主義は相反する部分も、同根する部分もあり複雑な相互関係なわけですが・・・・

長い文章になりましたが、旦那の部分代理で、回答させてもらいました


【2008/10/06 02:08】URL | #-[ 編集]
理解力が乏しく、丁寧に返答くださった冥王星さんや旦那さんの言葉を、十分に吟味できないまま、思ったことを書き連ねただけのお粗末なコメントだったと我ながら思いますが、貴重なお時間を割いて、根気強く丁寧な解説をいただき、本当にありがとうございます。
普通の庶民感覚しか持ち合わせず、こうした法律の世界のことはちんぷんかんぷんのため、これまで様々な疑問を感じていました。今回のやり取りでは、それらに対する明確な答えをいただくことができました。本当にありがとうございます。

私が他に適当な言葉を思いつけず「正義」などという青臭い言葉を用い、そうした対話に冥王星さんや旦那さんを巻き込んだこと、申し訳なく思います。
そして、弁護士の仕事に必要なのは「正義感」などではなく「法的妥当性」だということ、ようやく理解できるようになった気がいたします。

>陪審員制度という制度を利用した被告・被疑者の利益確保ということでは、弁護士を批判することはできません。

光市の事件の弁護方法も同様に、法的に妥当なのだから問題ないということも、よくわかりました。
判断は裁判官がすることだから、弁護士はそこまで考えなくてもいいということですね。
そもそも、冥王星さんや旦那さんはそういうスタンスであるのに対して、素人の私が(自分なりに)「人としての正しさ」とか「常識」とかを持ち出して意見しても、かみ合わないのは当然というわけですね。

>民主主義がなくても、「法治主義」で組織は運営可能です。
つまり、冥王星にとっては、
社会の実態は
「法治主義」>「民主主義」であると思っています。
「悪法であろうと法であり、悪法を改正するのが優先であり、悪法だから法を守らないでもいい」という考えを尊重しかねるのです。

理解するのが遅くて申し訳ありませんでした。つまりこういうことなのですね。
そしてあなたのおっしゃるとおり、民主主義と法治主義のバランスは、確かに難しいところですね。
多数派の正義が絶対ではない、というのは理解できますが、法律を守ろうと努める多数派がいるからこそ、法律が成立しているとも言えると思います。


【2008/10/06 08:14】URL | アシスタントS #-[ 編集]
横から意見することになりますが
「正義」でもいいと思うんですよ。
妥当性という言葉はあくまでも、
”多様性ある論理の中から当人が選択した論理的優先順位の高い価値観”という意味でもありますし、
「正義」が多面的・多様であることを認識できれば「各人の正義」を主張してもいいと思います。
問題はその「各人の正義」を相互尊重すること、という話だと思います。

あと、民主主義と法治主義のどちらが優位性があるのか?という問題は、
現代社会の法が大多数の合意によって成立することを考えれば、民主主義の方が実体的には優位性が高くあるのが当然だと思います。
超然として法が存在しているわけでもないので法治主義は民主主義の担保があって成立するものとも言えると感じますね。
でも、民主主義も法治主義の前提を尊重しないと成立しえない部分もありますので・・・相互補完関係とも思えますが・・・・・・・
理性的な人民ならば法は存在しなくても民主主義は機能しえる・・・という側面を主張できちゃうので、優先順位は微妙だったりします


【2008/10/09 23:26】URL | #-[ 編集]
アシスタントSさん、ご意見ありがとうございます。
(ブログの持ち主さんでもない私が書くのもおかしいですが)

「正義」や「妥当性」「民主主義と法治主義の優位性の問題」について、わかりやすい説明をありがとうございます。
それだけではまだまだなのでしょうけれど、それでも、そういう解説をしていだだいて、ものの見方や考え方を修正することができ、私としては本当に大きな収穫を得ることができました。

今後も、こちらのブログを楽しみにさせていただきます。
そして今後は、勢いに乗って軽率な書き込みをすることは自重し、もう少し自信をつけてから、意見させていただくようにしたいと思います。


【2008/10/10 10:49】URL | 冥王星 #-[ 編集]
>勢いに乗って軽率な書き込みをすることは自重

誤解なきように指摘しておきますが、軽挙妄動そのものを否定しているわけではないんです。
仮に、後になって、自分が軽挙だと思えるようになる、などその事象を一時期的な判断で終わらせてしまうことが最も忌むべきことだと思います。

人は思索する動物であり、その時々で様々な情動・思想性の支配を受けます。しかし、事象の問題は時を経たり、価値観が変わることで可変的でありえることを自覚することがもっとも重要だということだけ理解してもらいたいと思います。

生意気なことを言ってますが、そういう恒常的な思索が事象を考える上で重要だと思ってます。
根拠はない情動と言われても仕方ありませんがねw




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