FC2ブログ

論題はそこなのか?
検索・フォント調整 ×

スポンサーサイト
【--/--/-- 】   スポンサー広告  
この記事のURLhttp://janzika.blog64.fc2.com/?overture" target="_new
記事内のユーザータグ

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


支那とジャップ
【2008/10/07 】   未分類      トラックバック(0)   コメント(0)
この記事のURLhttp://janzika.blog64.fc2.com/blog-entry-39.html
記事内のユーザータグ    中国問題       定義論       倫理   


冒頭からいきなりBGM紹介というのは、外道ですねw
くだらない記事なので音楽で中和してくださいw

支那という言葉の使用の是非論は各人に任せるが、参考サイトの弁明が如何に無意味か?というプレゼンはしておくべきだろう。
 「支那」は「中国」の蔑称であるという誤解が一般に広まっている。しかしそれは正しくない。国語辞典の「大辞林」(三省堂)は以下の説明を付している。
しな【支那】 外国人が中国を呼んだ称。「秦 しん」の転という。中国で仏典を漢訳する際、インドでの呼称を音訳したもの。日本では江戸中期以後、第二次世界大戦末まで称した。
 また、明治二十二(1889)年発行の「言海」という国語辞典では「支那」はないが「支那人」という項があり、以下のように「支那」という語の由来を解説している。

シナ-ん (名) |支那人| 〔支那、或ハ、震旦トモ記ス、印度ヨリ稱シタル名ニテ、文物國ノ義ナリと云、舊約全書ニSinoaトアルモ是ナリトゾ、或云、秦(シヌ)ノ威、胡(エビス)ニ震ヒシカバ、其名ヲ印度ニ傳ヘタルナリト〕唐土(モロコシ)ノ人、カラビト。唐人(タウジン)。

そもそも、日本語辞典は日本語の訳者・編集者によるものであり、明確な当事国の語源を採用しているとは限らないのは言うまでもない。

文中では
中国語の「秦」が梵語(サンスクリット語、インドの言葉)に入り、その言葉が仏典によって中国に逆輸入された時、中国人自身が「支那」と音をあてたのである。
という説明が行われているが、だから、「侮蔑語ではない」という説明はない。
 同時に
「支那」という言葉は、元々中国人の作り出した、まさに中国語なのであって、日本人はその中国語を借りているに過ぎないのである。
 なお、「秦」は英語に入るとChinaとなり、現在でも中華人民共和国の正式英語名称はPeople's Republic of Chinaである
という指摘も侮蔑語はないことを証明するものではないだろう。
では、逆説的に自国で使われている言葉であるから、侮蔑ではないという論調ならば、日本語の差別用語を中国人が使うことが許されるのか?という命題が突きつけられるだろう。
 例えば、日本海側を「裏日本」という呼称で侮蔑するが、外国人が使っても許すものだろうか?
日本語の時代的変遷で意味が変わってしまった「貴様」を外国人が使ってブチ切れる日本人がいないと言えるだろうか?
 上記のサイトの言動は、まったく「支那」という言葉を侮蔑と規定できない論拠になりえないことが分かるだろう。
 戦前の本を読んでみると、ほとんどの本はChinaのことを「中国」でなく「支那」と書いている。私は、当時の本を研究すればするほど、日本人は「支那」という言葉を侮蔑の意図をもって使い続けてきたのだとする説への疑念が、どんどん深まっていくのを感じる。
 中国を蔑視するような文脈はむしろ少なく、ほとんどはごく普通に、中華民国や中国大陸の通称として使われていたことが、はっきりと読みとれるのである。我々が「子ども」でなく「子供」と書くことに“差別的意図がある”なんて全く知らなかったのと同じで、当時の人々は、「中国」を「支那」と書くことが“差別表現”だなんて、全く知らなかった。中国を蔑視したくて「支那」と呼んだというよりも、「支那」という名前の方がより一般的だったので使っていた、ただそれだけのことだった。

 この文章にも大いなる欺瞞が含まれる。
 まず、当時の本を研究した結果の主観論でしかない文章であることがまず挙げられる。
 どれだけの本を参照してどれだけの割合で「シナ」という言葉が使われていたのか?
そして、一番問題と言えるのが
”中国を蔑視するような文脈はむしろ少なく、ほとんどはごく普通に、中華民国や中国大陸の通称として使われていたことが、はっきりと読みとれるのである。”
 まず、冥王星の読書量からしての比較として問題があるが、
「シナ」という言葉が使われるようになったのは江戸時代からである
これは、学術世界の「世界観」の広がりから、それまで「南蛮」、「毛唐」程度の外国世界の認証から、中国を「シナ」と規定し、地域の人民を「シナ人」と規定していたと解される。
 そこには、侮蔑的意味が存在しないというのは、多くの文章を見れば明らかだろう。
 しかし、幕末・明治という近代化において福沢諭吉の脱亜論を見れば、その侮蔑的視覚は、文章に明確化している。
脱亜論の全文から、侮蔑意識の象徴とも言えるものを明示しておく。
今日の謀を爲すに、我國は隣國の開明を待て共に亞細亞を興すの猶豫ある可らず、寧ろその伍を脱して西洋の文明國と進退を共にし、其支那朝鮮に接するの法も隣國なるが故にとて特別の會釋に及ばず、正に西洋人が之に接するの風に從て處分す可きのみ。
惡友を親しむ者は共に惡友を免かる可らず。我は心に於て亞細亞東方の惡友を謝絶するものなり。

簡単に現代文化すれば
政治的に考えるに、日本国は文明開化・富国強兵をもって共同してアジアを盛り上げることはできない、逆にアジアを脱して、西洋列強と共に帝国主義の道を歩み、中国朝鮮という隣国に対しても特別に配慮することもなく、西洋列強のように接することでいい。
悪友(中国朝鮮)と親しくする国は、同じく悪友(ダメな国)である。私の信条はアジアの諸外国との関係を拒絶する。
 福沢諭吉は、アジア諸国の近代化で、地域ブロッグの安全保障を考えていたことは、比較的知られていない。様々なアジアの識者を慶応大学に招聘し、当事国人民による近代化の手助けを目論んでいたことは、著作に多い。
 しかし、このような価値観が当時の識者でも普通に存在している時代である。 
中国世界という狭い世界しか知らなかった過去の日本社会との決別は、明治の新時代としてはありべきイデオロギーでもあっただろう。
 それを加速化するのが、「支那事変」の数々であり、中国という実態像は過去に比較して落ちぶれたものである。そして、最終的には、日本は清国に勝利するのである。
 当然ながら、脱亜、西洋主義の亡霊に取りつかれた明治の識者・政治家が中国支配のために、国民にも「日本はこれだけ強くなったんだ!」というパフォーマンスを惜しまないのも当然だろう。
 そんな中、過去の中国という先駆者たる肖像が崩れ、自分よりも弱い連中として、侮蔑を込めるようになるのも分からないでもないだろう。
 このような社会背景からも、一般用語としての使用の意味から逸脱している部分は推測できるのである。
 それでは何故、「支那」という言葉をかように嫌がる中国人が多いのか。「ガイジン、ガイジン」とからかわれた外人が嫌な思いをするのと同じで、「シナじん、シナじん」とからかわれた中国人も嫌な思いをしたのである。
「外人」も「支那人」も元々は差別用語でなかったけれど、からかいの言葉に悪用するなら人を傷つけることになってしまうのである。

 どうも身勝手な解釈であろう。
外人を辞典で調べると
1 外国人。特に、欧米人をいう。2 仲間以外の人。他人。
とある、これがそのまま侮蔑を意味しないが、島国根性の日本人からすれば
”2.仲間以外の人”はムラの外の人間であり、村八分という論理から侮蔑の対象たりえる可能性は高い。
「侮蔑」というエモーションを証明することはできないのが一番の問題であるが、誰が「外人」は侮蔑の意味がないと断言できるだろうか?
また、日本では中国を公式には王朝名で呼ぶのが慣例であり、清朝時代には日本政府も「清」と呼んでいた。「日支戦争」でなく「日清戦争」という名前はそのためである。
 とはいえ、政府という区切りではなく地域・文化的な区切りでは「清」でなく「支那」が使われた。漢民族は「支那人」と呼ばれ、漢民族の言語である中国語は「支那語」と呼ばれていて「清語」とは呼ばれなかった。中国の王朝は同じ民族とは限らなかったから(漢民族だけでなく、モンゴル人の元、満州人の清などあった)、王朝が変わるたびに言語名を変えては大変なことである。この場合は「支那」が使われた。

 まず、大きな誤解があるが、漢民族という概念は、不明瞭である。金王朝・清王朝は漢民族ではないとは言えないし、そもそも漢民族という概念は、常に混血し変動している遺伝民族と言えよう。
 つまり、元王朝は別にしても、中華騎馬民族王朝の各部族は同化政策により漢民族化しているという認識論が妥当だろう。
 同化を拒否することを続けられたモンゴル・女真族は民族の慣習を死守し、場合では民族としての慣習を大衆に強制したこともあるが、その実態は非常に不徹底であり、実態はザルであっただろう。
 つまり、概念的に複雑な漢民族を理解するに「シナ」という用語がもっとも稚拙ながらも妥当であった背景がある。
 その背景で、日本人とアイヌ人をも同族化してしまう不適切かつ乱暴な用語として「シナ」が使われているに過ぎないだろう。
 つまり、漢民族という概念を理解できない文章であるという意味もあるが、シナという用語の内容の不適切さがこの文章には見て取れる。
さて、1912年の辛亥革命で中華民国が樹立した時には、日本は中国を「中華民国」とは呼ぼうとしなかった。(日本政府は台湾の中華民国政府と国交を絶って以降、今でも中華民国政府を「中華民国」と呼ぶことは決してなく、ニュースなどでも通称の「台湾」が専ら使われている。これに少し似ているかもしれない。[しかし台湾という言葉そのものは支那と同じく差別表現ではない])「中国政府」という表現はほとんど見かけず、「支那政府」と呼ぶのが一般的であった。また、中華民国樹立以降~日中戦争の時期、中国は様々な政権が乱立し内乱状態にあり、中国大陸内の複数政権を区別して呼ぶ必要がある場合は「南京政府」「武漢政府」「重慶政府」(日本の南京占領後の臨時政府は重慶にあった)などと政府所在地で呼ぶこともあった。しかし、政府に依存しない、中国大陸そのものの地理的な呼び名は「支那」であった。

 誤解される文面があるので整理しておく。
「中華民国」という呼称は使われなかったわけではない。外交文章でも明確に使用されているのであるのだから、「呼ぶことは決してなく」は間違いである。
「ポツダム宣言」の冒頭にいきなり
一 吾等合衆国大統領、中華民国政府主席及「グレート、ブリテン」国総理大臣ハ吾等ノ数億ノ国民ヲ代表シ協議ノ上日本国ニ対シ今次ノ戦争ヲ終結スルノ機会ヲ与フルコトニ意見一致セリ
二 合衆国、英帝国及中華民国ノ巨大ナル陸、海、空軍ハ西方ヨリ自国ノ陸軍及空軍ニ依ル数倍ノ増強ヲ受ケ日本国ニ対シ最後的打撃ヲ加フルノ態勢ヲ整ヘタリ右軍事力ハ日本国ガ抵抗ヲ終止スルニ至ル迄同国ニ対シ戦争ヲ遂行スルノ一切ノ聯合国ノ決意ニ依リ支持セラレ且鼓舞セラレ居ルモノナリ
対華二十一ヶ条要求には「支那国政府」という記述があるが、
「中華民国」政府という記述は国際法条文の邦訳として多くに存在している。
 「冥王星は小惑星なり」で説明しているが、日本政府が現在でも「中華民国」という呼称を使えないのは、「中華民国」は消滅した政府であるという国際決議である「アルバニア決議」を踏襲するからにすぎない。
ところで、国の名前を通称や略称ばかりで呼ぶことそのものは、必ずしも差別を意味するわけではない。イングランド・スコットランド・北アイルランドを含む「グレートブリテンおよび北部アイルランド連合王国」は専ら「イギリス」「イングランド」「英国」と呼ばれてイングランドで代表されている。「ネーデルランド」は日本語で専ら「オランダ」と呼ばれ、「スオミ」は「フィンランド」と呼ばれている。戦前の多くの日本人にとって、中華民国を「支那」と通称で呼ぶのは、それに近いことであった。

 残念ながらも、差別を意味しないとも断定できようもない・
もっとも「差別」の定義がないこの話では、差別であること、差別ではない、ことも証明も出来ない問題があるが、
仮に、差別とは、
特定の言動を、相手が不快と思い、その意思を明示する状況、と仮定させてもらえば
イギリス人という呼称をアイルランド・スコットランドの人民が嫌がることはある。
彼らにとっての民族的アイデンティティは、擬似的単一民族には理解できるものではないだろう。
そういう環境にある日本人にとっての民族アイデンティティ意識は、無頓着であり配慮がないことは当然考えられる問題だろう。
 これは個人が、事象を簡単に考える堕落的思考性から生まれる誤解であり、その可能性を想定して言動する必要性があるのは言うまでもないだろう。
 むしろ、侮蔑用語とは、本人の意思とは別の意図で発生しうる問題であろう。
 それを例示しえるのがネット略語である「W」という表現である。
 英語では、笑うという語彙にはネガティブな意味合いは見られない。ドイツ語でも同じことである。
1:A wry smile  2:Self-mockery 3:Ridicule
これらは、「笑」が入る日本語の翻訳だが、わかるだろうか?回答は最後にするが
wのように、言葉は解釈者次第で危機的な状況を生みかねないものである。
 そこまで留意して言葉を使う配慮を日本語は必要としている言語でも言えよう。
 では、シナ、チョンという言葉を解釈者がどう解釈するか?
という問題は、「侮蔑語」であるならば、それは解釈者の問題として取り上げるべきだが、
シナ・チョンが侮蔑語ではないという断定は、この文章でもできるわけではない。
言葉は変容するものであって、解釈された語彙は語源から逸脱しようとも、解釈者の恣意的解釈がまかり通る危険なものであろう。
 日本語で「ら抜き言葉」が一般化したり、顔文字が流布したり、言葉が用途性を持ち意味を持つによる以上は、細心の注意が必要なのである。

 「ジャップ」という英語を侮蔑語と規定されている。
国名コードとして「JAP」は堂々と使われたが、国際社会は侮蔑的意味から「JPN」に訂正した。
この著者の主張では、「侮蔑的意味合いもなかったから」侮蔑ではない、ということだから、「JAP」と当然、忌諱してはならないだろう。
 しかし、著者はJAPを許容するだろうか?理屈からしても、JAPはもっと広い範囲で使われた言葉であり、世界的な容認のあった単語であるはずだが・・・・
 japはまだJapaneseの略語であろうことは推測がつくが、シナは想像がつかないものであろう。

JAPという言葉が正当化できる理屈よりも、根拠の希薄なシナという単語。
冥王星個人は、JAPと言われることは侮蔑とも感じないし、略語であり本位があることを知っている。
しかし、それが侮蔑と誤解する日本人がいる事実を尊重して、JAPを取り下げる理性の諸外国を評価するが、そんな大人の諸外国とは違うシナという用語使用者の配慮の無さは、日本人の恥としか思わない。
 そんな日本人をジャップ、ニップと言われようとどうでもいいし、侮蔑語の応酬をしていればいい。
語源や由来だけではなく、現代用語としての意味を尊重できない教条主義者の弁明などは、言語の本質を理解していない未熟な現代人としてしか評価できないだろう。
 もっとも、人の嫌がることをやることを責めているのではなく、自分が嫌でもあることをやる、という
「同害復讐」の世界観の人間を侮蔑しているに過ぎない。


冥王星は、デブは侮蔑ではないが、肥満体は侮蔑と解することを明言しておく。


スポンサーサイト


この記事に対するコメント

この記事に対するコメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する


この記事に対するトラックバック
トラックバックURL
http://janzika.blog64.fc2.com/tb.php/39-78044667
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)


サイドメニュー ×
メニューA  メニューB

最新記事 ×

プロフィール ×
<管理人・著作>
冥王星
け~ね
<著作>
モダンタイムス
NOW PRINT
ワレサ
ジャーマンシェパード
木村屋ジャムパン
先行者
アシスタントS
ヤバイチルノ
アシスタントSの旦那
エラスムス

最新コメント ×

リンク ×
このブログをリンクに追加する

最新トラックバック ×

カテゴリ ×

youtubeで聞けるお奨めBGM ×



上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。