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憲法再論「国民投票法)
【2008/10/13 】   冥王星      トラックバック(0)   コメント(0)
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国民投票の基礎知識と著者の立場

1:国民投票法の基礎知識

 国民投票法は、憲法改正に関しての憲法96条の規定を実用的にするために、新規作成された「手続法」です。 
 国民投票法の正式名称は「日本国憲法の改正手続に関する法律 」という。
国民投票法という名称そのものは憲法96条の記述に基づいた法律であり、

96条 (憲法改正)
1.この憲法の改正は、①各議員の三分の二以以上の賛成で、国会がこれを発議し国民に提案して
 ②その承認を得なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行われる投票において、その過半数の賛成を必要とする。
2.憲法改正について全項の承認を経たときは、③天皇は、国民の名でこの憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する。

と条文にある通り、憲法改正手続きには国民投票が行われることを由来として「国民投票法」と通称されます。
 憲法改正の手続きとして憲法上では三段階の手続きを規定している。


①国会の発議(国民投票法6章→国会法改正部分)
②国民の承認(国民投票法1~5章)
③公布(国民投票法に規定なし)

 国民投票法は実態としては、①と②の手続きを規定しており、そのほとんどが②の「国民の承認」つまり国民投票に関する規定で構成されています。

2:憲法改正の手続法の政治的正当性
 護憲派からすれば、「憲法を改正する目的の立法行為が憲法違反」という主張もありますが、96条に規定されているように、日本国憲法は改正するための方法論を抽象的ながらも明示しているのであり、護憲派の「憲法自体が改正を前提にしていない」という言説は否定されるべきものでしょう。
 一方、憲法制定権利者としての国民が、憲法改正の権限を持っていないという道理もありません。憲法改正には、権利者である国民の制定権として正当性がある、という構造が日本国憲法上に想定されることは理解できない話ではないでしょう。
 冥王星流儀でいえば「国民投票行動を行わせないことも、国民に付与されている主権行為である」ということ考えられる。
 つまり、
改憲にとっては
96条が規定している改正の手続法に関しては、憲政上での制定行為の合理性があるものであり、これを否定することはできない
護憲派にとっては
憲法制定権利者として、憲法を死守する
という両者の政治的立場の競合状況を否定する必要性はないのである。
もちろん、これは立憲主義社会を前提とした話であり、憲法が最高法規であり、かつ国家権力と国民の権利義務関係を明示する基礎法規である限りは、憲法制定権利者としての国民の自由なスタンスは否定できない。

3.冥王星の立場として
 冥王星は「護憲的解釈改憲派」である。
より妥当性があると言える表現で言えば、「加憲論」である。
 そもそも、護憲であろうと改憲であろうと日本国憲法の三大原則を根本的に否定することは難しい上に、自己矛盾を発することになる。
 事実上、日本国憲法改正には限界射程があるというのは、国民が制定権者であることが起因する。
 。
 簡単に憲法としての独自性を提示するならば
①コモンロー的シビルロー
②不戦条約を踏襲した非武装的平和主義
③硬性憲法
という三点は普遍的に問題点にされるものがあるだろう。
特に、①のコモンロー的シビルロー(英米法的な大陸法→判例主義的実定法)という憲法の視点は諸外国とは比較にならないほど憲法問題を複雑化させている。
 ただし、実態的に改憲論の多くは②の平和憲法としての現実性のテーマを主体として論争しているが、この論争は安保闘争時代から継続的に国政で議論され、結論を見ていない。

 自分を「加憲論」と位置づける論拠は、あくまでも現状の日本国憲法を改正するのではなく、
「条文を付け足す、修正事項を設ける」 
という考えから「加憲論」の立場を取るものである。
 今の改憲論は憲法9条の是非論が主体的であるが、これはこれまで継続的に論争されて結果、具体的な草案さえ創出されていない現状がある。
 9条だけを論題にしている改憲論は視野狭窄であるという批判もあるが、近代社会の憲法を視点にして構築された日本国憲法は制度疲労を迎えているという部分は少なからずあると認識する。
 新しい人権概念が続きと創出され、世界規模での問題提起が行われ、それに対して日本国としての立場・日本国民としての立場について国家戦略的な部分を持つ現行憲法は時代錯誤という部分は過分にあるだろう。
 「環境権」・「人間の安全保障」などの新しく重要視されている市民権などに憲法がまったく配慮しないでもいい、という状態を放置されているのは問題だろう。
 これらの新しい権利は、憲法で規定されるべき重要な市民権としての確立と感じる市民は少なからず存在し、彼らの憲法制定権者としての主権を尊重するにも、改正議論を否定することは、主権在民という憲法である以上は護憲派も出来ないことであろう。
「修正事項」という考えは、「アメリカ連邦法」(アメリカの憲法)は多くの「修正事項」を抱えて成立していることをモデルにしている。
具体例は
などであり、
アメリカ連邦法本体から時間の経過に対して、修正事項として新しい権利を盛り込むようになっている。
「条文の付けたし」というのは、簡単に関連条文に新しく加えられるべき条文を付記することである。これは「改正」ではないことになる。
 
 「護憲的解釈改憲」というのは、これまでの憲法のあり方であり、現状維持に近いと思っても間違いない。
 日本国憲法そのものが、コモンロー的であるという指摘は、憲法の実態が司法・行政の解釈の支配下にあり、制定権者の意志では憲法は運用されているとは言い切れない。
 このような現状が長く続いた日本国憲法であるが、国民から大きな批判は起こるものの、そのたびに国民が妥当な政治選択を行えるものではなく、むしろ行政・司法側の憲法判断の妥当性の方が信用できることにある。
 逆にこのような姿勢は、現行の行政の憲法解釈者である「内閣法制局」の憲法支配という問題点があるが、これは関しては別の機会を儲けて問題解決の方法論を提示したい。
 つまり、憲法問題に関しては、現状維持派というのが簡単な理解だろう。

  
 
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