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優しさ・寛容さ
【2008/11/28 】   モダンタイムス      トラックバック(0)   コメント(0)
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「優しい」「寛容」

同僚が私を評して言ってくれる言葉です。
同僚から見れば私は「優しい」「寛容」な人に見えたのでしょうが、私はこの評価が怖くありました。

友人は決して私を「優しい」「寛容」とは言いません。私も自分自身をそのように思ったことはありません。
むしろ私は「厳格」「厳しい」人でありたいと思っています。

なぜ同僚が私をそのように判断したのでしょうか?
その理由を精査してゆく過程で「優しい」「寛容」という言葉が酷くご都合主義的な意味を持つことに気づかされました。

何も期待していない人がどんなに失敗しようが、怒りもしませんし、怒鳴りつけたりしません。
それを第三者は「寛容」「優しさ」と解釈してしまったのです。
確かに、それは一面からすれば、「寛容さ」「優しさ」かもしれません。
しかし、本質的にそれが「寛容さ」「優しさ」ではなく「無関心」「無関与」であろうとする姿勢の結果論に過ぎません。
それですら「寛容」「優しさ」と判断できてしまうのです。
逆に期待している人に対して「冷たい」「厳しい」というような第三者の指摘を受けることが多々あります。
しかし、それは期待する人であるがゆえの「関心」「から来る探究心・愛情のような側面があります。

優しさ・寛容さ、というものを評価する視点が難しいと思えてなりません。
愛情ある中で我慢することが必ずしも優しさ・寛容さではないことも同じことです。
そうやって、考えてゆくと人に厳しい人の方が本当に人間的に素晴らしいような気がしてなりません。
本当に単純に厳しいだけの人もいるかもしれません。
寛容さ・優しさがない人がいるかもしれません。

しかし、相手のためを思っている「優しさ」「寛容さ」というものを第三者がどれだけ評価できるのでしょうか?
よほど、自分をよく知ってくれている第三者でないと「優しさ」「寛容さ」を見抜くことはできないように思うのですが、考えすぎでしょうか?
冥王星さんが
”甘いだけの優しさ”
”無関心であるからの寛容さ”
という言葉をよくよく投げつけます。

私自身が優しく・寛容に思われた時点で危険な対人関係の状況を確立してしまったようです。
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