 | 今回は動物愛護・自然保護 という似てる言葉について、考えようというわけですが・・・
まずは二つの定義みたいなものを・・・・ |
 | 二つを定義するために、
二つを同質化して考えている人がいると思うから、その違いを私なりに説明したいんだけどいいかな? |
 | どうぞ・・・・・今回は聞き手なんで、サクっと |
 | 動物の映像でライオンが草食動物を捕食することがあるよね?
でも、放送のテーマ次第で抱く感情がまったく変わってくる。
当然、ライオンをテーマにすれば、ライオンも他の動物を捕食して食べるしかないから捕食行動について問わないし、残虐とは思わないことが多いね。 |
 | まぁ、そうですね。ライオンを特集する番組ならばそうなるでしょうね。 |
> | 一方、捕食される側の草食動物を特集する番組ではライオンの捕食行動に対して冷静に見ていられるとは言えないことが多いよね? |
 | まぁ、子供さんとかは騒いじゃうでしょうね。 |
> | これは感情だから仕方ないと思うんだけどね。 自然保護・動物愛護という精神はそういう視点の偏りがあってはならない、と思うの |
 | と、いいますと? |
> | 野生のキツネが野うさぎを捕食しようとしていて、冥王星君はどうする? |
 | オイラはそれを放置しますね。自然淘汰の原則からしてもキツネが野ウサギを捕食してゆくのは自然なことですから |
> | 子供にそういう教育できる?まだ幼い子供相手だよ? |
 | 難しいですね。概念的に食物連鎖は分っていますが、捕食される動物のことを考える教育もするべき・・・というスタンスですからね。 |
> | そうだよね。でも、冥王星君は自然の原理原則というものを尊重する。
これは自然保護の視点なんだよね |
 | え?どういうことですか |
> | 自然のあるがままの姿を尊重したから。
そこで行われた食物連鎖に介入しなかったから
|
 | ふむ。 |
> | でも、食物連鎖に介入しないことが正しいわけじゃないよ。あくまでもそれが自然保護の見方の話ね |
 | では、人為的な災害によって動物の生命が脅かされるケースは? |
> | それは人間が自然と関わって変質した環境であって、人間の責任があると考えることができるでしょ?
だから、そのケースの生命は可能なだけ人間の努力で守られるべきだと思う |
 | つまり、自然保護と動物愛護は個体間の差別的な愛情を持たないこと、ということですか? |
> | それもあるけど、「自然」のあり様を尊重した上で動物を愛せる気持ちだね。 |
 | 自然破壊してまで存続してしまう動物は愛護の対象ではないと? |
> | 正直、そうとも言える。
動物愛護は時に自然環境を破壊することで他の動物の生態系を破壊することがある。 |
 | クジラ・外来生物とかですね |
> | だね。人間の都合で持ち込まれ・保護された結果、生態系が破壊されちゃう事例は多い。
でもそれが一面の動物愛護という精神性に原因がある。
こういう言質は「動物愛護」否定とも解釈されるけど、私はそう思ってる。 |
 | 姉さんはオイラと同じ動物愛護を嫌悪してますもんね。 |
> | 嫌悪ではないけど、愛護という名の支配・束縛でしかないと思ってる。だから動物愛護は詭弁としか思ってない
でも自然保護は別。自然保護は総合的な地球環境まで想定した概念だからね。それで被害を受けるのはまずは人類・増えすぎた動物群などだから、私は仕方ないと思う。 |
 | そういう教育指導できます? |
> | 正直難しいね。
”「自然」って何かな?”
という永遠に解答できない問いかけを続けることによって、教育指導になると思う。
それを考えない人生もありだけど、それを考え続ける人生は非常に有意義だと思ってる。
冥王星君も「解答がない回答」という指導方法を否定しないはずだから、許してもらえるだろうけど |
 | でも、動物の差別愛というのは「差別」からして難しい問題だと思うんですけど? |
> | 冥王星君はさ。人類の個体数の相対的増加については、危険視してるよね? |
 | 正直言えば、ヘンだと思ってます。
自然の一翼として人類が繁栄している現代において人類だけが繁栄を謳歌している現状は動物差別状況でしかないと思います。
はっきり言えば人類の行動の多くが自然破壊と何ら変わらないものとも思ってます。 |
> | 冥王星君にとっての自然の姿というのは人類の現状からして違和感があるのよね。
でも、そういう見方ばかりじゃない。冥王星君のは人類自虐認知と言われるかもしれないね。 |
 | 言われたっていいですよ。そういう認知があるからこそ、反面教師で自然保護の意識が出来上がってるわけですから。
批判したければどうぞ。少なくともそういう認知を否定しているくせに何もしない・何を考えてない奴よりはマシだと思うので |
> | そうなる。
人類が存続できるのは自然環境あっての話だからね |
 | えっと、もしかして
動物愛護の視点で考えると人類はどうあるべきか? という命題がある、
という話にしたいんですか? |
> | うん。そう。
人類も動物だからね。動物として特別扱いしていい、なんて根拠はない。
だから、動物愛護の視点では
「人類の個体数・生態について考えない」ケースは、ありえない |
 | 動物愛護のハードルって案外高くないですか? |
> | これは私の定義だから・・・
単純に情動に流されてその場限りの愛情でも「動物愛護」と言うこともできる。
でも、それを正しいとは思えない。 |
 | なんか愛国心と似てますね。
世界的規模で自分の国のあり様を考えない愛国心は偏狭な動物愛護と大差ないように思えてなりません。 |
> | 政治的な分野へ持ち込むのはやめてほしいんだけどね。 |
 | 感情・情動的な愛国心は、クジラ保護運動と大差ないと思いますが? |
> | 教育学上のテーマのひとつである「愛情」というのはやはり、そのあり方を問われるわけで、それがガアペーではなくてもマイナス作用が大きくならないように留意する必要性があるね。 |
 | ・・・・・・ |
> | イヤ・・愛国心とクジラ保護は似てるよ。
科学的見地を排斥している部分なんかは見事に一致するし、エゴイズムでしかない部分は一致している部分だからね |
 | 分ってますよ。結局は
思想信条の自由と表現の自由によって暴虐な思想も人類は特別扱いされることによって、正当化できてしまう、
という事実はね。 |
> | 支配者たる人類が,
独裁者の如く君臨している現在、人類が独裁者としてどれだけ聡明なる「自然管理者」であるのか?
それを問われていることだけは留意しておきたいね。 |